逗子の夕景と音楽とのあいだに、関係は無いけれど。 [日々の記録]
村上春樹の『意味がなければスイングはない』を持ち出すまでもなく、
心地良いサウンドに身を任せるだけが、音楽の聴き方ではない、と思う。
屋外でイヤフォンを耳にすることは滅多にない。
少しでもちゃんと聴こうという、かすかな抵抗かもしれないが、
ともかく耳あたりの良い、あるいは聴き馴染んだ旋律やリズムに
たんに身を任せて聴き流すことに、どこか抵抗を感じる。(なんだか硬いなぁ)
とはいうものの、カラスのトスカを聴けば心揺さぶられ、
モーツァルトのクラリネット協奏曲に涙腺は緩み、
石川さゆりの「天城越え」に情念?を掻きむしられる、、、
(そういえばこの風景、海の向こうに小さく見えるのは天城山)
つまるところ人は「音」に感情を左右されるのも事実ではある。
問題は「何」が気持ちを動かすのか?
それを読み取る、いや聴き取る力なのだ。(ますます硬い!)
午後、久しぶりにブラームスのシンフォニーの2番を聴いた。
これまで繰り返し聴いてきた第2番。
精緻を極めたリズムの処理にあらためて耳を傾ける。
聴き終えて、ふと夕陽が見たくなり近所の丘に向かった。
雲もなく、劇的な夕景にはほど遠いけれど、
地上近くのオレンジ色から青い空へのグラデーションは、やはり気持ち良い。
ブラームスを聴いた後の幸福感には似合う夕景だった。