リシッツァの弾くフィリップ・グラス [聴く・クラシック音楽]
2020年6月20日、今朝も歩きながら考えた。
晴れるとなぜ気持ちが良いのか?
降るとなぜ気持ちが落ちこむのか?
もちろん悲しい晴れも、気持ちの安らぐ雨もあるけれど。
天気予報でも、“良い天気”、“天気が崩れる”などという。
前線がまだ南にあるおかげで、湿度は低め。
すこしでも湿度が上がれば姿を消す箱根連山、伊豆半島も良く見える。
もう少し遠い伊豆大島もうっすらと。。。
そんな梅雨の中休み、この海を前にして脳内に響くのは
気になるピアニスト、リシッツァの弾く、
気になる作曲家、フィリップ・グラス。
どんな曲かというと、こんな曲↓
(CDに収録の全曲が聴ける)
Valentina Lisitsa Plays Philip Glass
https://www.youtube.com/watch?v=jyjzJemQGOM&list=PLMU_2nKz3LItgKA6gv_aNCJn4d0qIy0-d
※写真は逗子マリーナから相模湾、伊豆半島を望む、うっすらと大島も。
ブラームス、ラルキブデッリ、クリムト Brahms, L'Archibudelli, Klimt [聴く・クラシック音楽]
※ブラームスの弦楽六重奏曲・第一番についての記事です。
この曲の第二楽章がルイ・マルの映画『恋人たち』(Les Amants)で印象的に使われていました。
記事下にYoutube音源を載せますが、第二楽章はその13分14秒からです。
(映画で使われたのはこの演奏ではありません)
ヒトの記憶は素晴らしい。
6月3日、FacebookのC・Kさんの「ブラームスのゼクステット」(弦楽六重奏曲第一番)に釣られて、あれやこれやをYoutubeで聴いているうちに、ラルキブデッリの演奏を見つけた。ビルスマ好きとしては、これは嬉しい発見。ベタついたところの無いスッキリとしたOp.18、この曲のこんな演奏も好きだ。
そして、ついでにL'Archibudelliをあれやこれや探しているうちに、なんだか見覚えのあるCDジャケットが目に飛び込んできた。あれ?この絵のCD、ひょっとして、、、
と、我が巨大なCD所蔵庫(ウソ)の「B」の棚を丹念に見ると、あるではないかそのCDが。
ケースの中には2000年12月、HMV渋谷とメモ書きしたポストイットが貼ってある。そのころはまだチェリストのビルスマにもさほど関心が無く、よく調べもせずに“イイ感じのジャケット”に惹かれて買った記憶がだんだんと蘇ってきた。その後、どのくらい真面目に聴いたか、その点についても記憶がほとんど無い。(ただ、よくよく考えてみるとその少し後にビルスマのバッハ/無伴奏チェロ組曲を買っているから、このブラームスでナニか興味を覚えたのかもしれない)
ようするに、苦心(というほどじゃないけれど)して探したYoutubeの音源が、実は手元にあったというお粗末。これを、典型的な死蔵という。まぁ、でも積ん読、いや積ん聴きでは無かったのがせめてもの救いか。
それにしても、C・Kさんの記事には“ラルキブデッリのこの演奏は初めて聴きました。”などとコメントしている、、、
あぁ、ヒトの記憶はなんと素晴らしい!
※ブラームス「弦楽六重奏曲第一番」ビルスマの演奏はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=zVP_Y1e5pV8&fbclid=IwAR2Ctbz4NeTQYK5WU6yphYKvkBmQ23J9qjQ4Ct4nB0dT_s0YTAKmoOfmWX0
※ちなみにこのジャケットの絵の作者はクリムト、タイトルは『ひまわりの咲く農家の庭』。
今日の散歩とブラームス。 [聴く・クラシック音楽]
この数日、ターコイズブルーの彩度がどんどん高くなっている。
場所は逗子沖の相模湾、理由は良く分からないが美しい。
朝散歩の途中、ここでちょっとひと休み。
そして脳内再生はというと、
“エーゲ海の真珠”とかシャンソンの“ラ・メール”とか、
そんな選曲だったら、ごくごく真っ当だけど、
なのに、昨日から取り憑かれてしまったジャニーヌ・ヤンセンのブラームス!!!
この演奏、Facebookのとあるクラシックのグループで、
とある記事に出会って聴いてしまったのが運の尽き。
とにかく、とんでもない熱演、いや怪演というか、
聴き始めると、あっという間に最後まで引っ張られてしまう。
で、今日も朝からブラームスが鳴っているわけで、散歩中も耳から離れず!
さて、このミスマッチング、元記事の投稿者を呪うべきか!?
音楽、それもクラシック、そしてブラームスをお好きな方にはご一聴お薦めします。
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲
ジャニーヌ・ヤンセン(Vn)、ダニエル・ハーディング(指揮)
Janine Jansen Brahms violin concert op.77 - Daniel Harding
https://www.youtube.com/watch?v=EEtGz3FJ8oQ&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1OM3edLQQ7NKbfoIFpvz5IFiZBKedTHNxHhBI0u6giP1F6L15FYZbHF88
コチシュのドビュッシー。 [聴く・クラシック音楽]
Facebookのとあるグループで薦められ、思わずカートに入れてしまったCD。同じ音源はYoutubeにもあるし、その圧縮音源でもPC接続の小さなスピーカーならじゅうぶんに楽しめる。そして、届いてから一週間、やっとそのCDを落ち着いて聴く。Zoltan Kocsis “DEBUSSY”
粒立ちの良いというのだろうか、とにかくピアノの一音一音が濁らずに気持ち良く響く。ソロ楽器なのに、響きに奥行きも感じる。そして、「月の光」や「沈める寺」など、音色の繊細な変化には絵画的な色彩感も浮かんでくる。楽曲の構成や解釈といった専門的なことは分からない。たぶんに音のテクスチュアを感覚的に楽しんでいるだけに過ぎない。
が、このコチシュの演奏はドビュッシーの描いた世界にぴたりと嵌った気がする。
Youtubeの音源はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=BWCzM2KqePo&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1Eq5iPT6aPitUsvgO9tCxLwJK-GxqWDqkLEImc_IuxtPO0jsBEkDciIuA
ブルックナーに引き込まれて。 [聴く・クラシック音楽]
ブルックナーの第7交響曲を繰り返し聴いている。
外出時はスマートフォンのファイルを聴き、
クルマに乗ればCDをセットして、
デスクに座ればパソコンの貧弱なスピーカーを通し、
そしてたまにはタンノイを鳴らして、とにかく四月はブルックナー漬け。
(いまも、Youtubeからショルティとシカゴシンフォニーのライブ録音が流れている)
4月になってから時計の針が逆戻りしたような寒さが続いている。
雲は切れ目なく空を覆い、
ときおり現れるわずかな明るさもさらに広がることは無く、
そのまま厚い雲に呑み込まれる。
そんな空模様とブルックナーにどんな関係があるか分からない。
いや関係などまったくない。
でもしかし、あの雲の向こうにはきっと明るい光があるはず、
というごく平凡な感想と、ブルックナーの旋律や音色が
何とはなしに結びついてしまう。
パウル・ベッカーは(*)
“ 芸術(音楽)体験において、人はあらかじめ自分の
中にあるものを再認識しているだけなのだ” としている。
さらに、
“ ・・・一見新しく見えるものも、実はこれまで意識して
こなかったものが突如として意識されるようになっただ
け、以前から暗がりの中でまどろんでいた内面の領域に
突如として光が当たっただけなのだ・・・”と。
さてさて私のどこにブルックナーの7番に反応する因子があったのだろう。
などと考えながら、またスケルツォの響きとリズムに呑み込まれる。
(*)岡田暁生『音楽の聴き方』より引用
実はこの本、けっこう難しくて確かに読んだものの、
頭に残っているものは極めて少ない。要再読である。
Youtubeに比較的に音質の良い演奏があります。関心のある方はどうぞ
ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調
カラヤン/ウィーンフィル 録音:1989年
第1楽章 アレグロ・モデラート(19分40秒)
第2楽章 アダージョ(23分15秒)
第3楽章 スケルツォ(10分11秒)
第4楽章 フィナーレ(13分00秒)
*写真は4月7日の横浜・赤レンガ倉庫 冷たい雨と強い風、ほとんど真冬の天候。
吉田秀和氏、逝去。 [聴く・クラシック音楽]
5月22日、吉田秀和氏が逝去された。98歳
NHK-FMの「名曲のたのしみ」の、
あの嗄れた、ちょっとぶっきらぼうな感じもする解説ももう聞けない、
鋭いという言葉だけでは言い表せない「音楽展望」、
それももう読めない、と思うとやはり寂しい。
いまはただ、合掌。
NHK-FMの「名曲のたのしみ」の、
あの嗄れた、ちょっとぶっきらぼうな感じもする解説ももう聞けない、
鋭いという言葉だけでは言い表せない「音楽展望」、
それももう読めない、と思うとやはり寂しい。
いまはただ、合掌。
フォーレ、そして西行。 [聴く・クラシック音楽]
空が少しずつ高くなってきた。
まだ冷たさを含んだ風が、首元にすーっと入り込んでくるけれど、
ようやく春らしい陽差しの到来、今年は待ち遠しかった。
目黒川のソメイヨシノもそろそろ蕾が弾けそう、
開花はあと一週間くらいか。
この季節、フォーレの旋律とハーモニーが、
条件反射のように浮かんでくる。
そういえば、五年前のいまごろ “春の日の、フォーレ” という記事を書いた。
毎年、同じ音楽を同じような心持ちで聴いていることになる。
まったくもって進歩がないのだ。
(去年はその夢見心地の気分には、とてもなれなかったけれど)
西行が見、詠んだ桜をイメージする。
といっても、吉野に行ったこともなく、
ただ数少ない印象の断片を寄せ集めて想像するだけ。
吉野山こぞの枝折りの道かへて
まだ見ぬかたの花を尋ねん
西行は桜を詠んだ歌が230もあり、
吉野山の桜を詠んだ歌は六十首におよぶとか。
上の歌は、この記事を書きながらふと思い浮かんだもので、
あまり深い意味はない。
フォーレ、
レクイエムもエレジーも、もちろん良いし、
ピアノのための音楽も忘れられない。
そのなかでピアノを加えた四重奏曲と五重奏曲、
そこに散りばめられたアルペジオ、その煌めきは何にも増して美しい。
今年も桜の散る頃まで、その旋律が脳と心の内を駆け巡るのだろう。
12世紀に生きた極東の歌人と19世紀フランスの作曲家、
二人の残してくれた精神の高みと造化の妙、
それを重ねて楽しめる21世紀の愉悦。
春はフォーレ、そして西行。
***
私の好きなJean Hubeu盤ではないけれど、
それとどちらも第一楽章のみですが、興味のある方はどうぞ ↓
Gabriel Fauré : Piano Quintet No.1 in D minor Op.89 (1: molt moderato)
Gabriel Fauré : Piano Quartet No.1 in C minor Op.15 (1: allegro moderato)
消えた i Pod と、ベートーヴェン。 [聴く・クラシック音楽]
ときどき使っていた i Pod Shuffle が行方不明。
気付いたのは去年の暮れのころだから、もう半年以上も見つからない。
鞄の中のどこか、あるいはコートのポケット?
そのうち、何処かからポロッと出てくるだろう、忘れた頃に。
だから、真剣に探さない。
そしてだんだんと存在そのものを忘れる。
それでも何の不都合も感じないのは、
たぶんソレを必要とはしていないのだ。
かつてのウォークマン初代機もCDウォークマンも、
買ったわりにはあまり使わなかった。
車もカセットテープからCDへ変わったけれど、
聴くことは滅多にない。
まぁ、運転中に音楽に没頭するわけにもいかないし。
などと言いながら、それになんとも矛盾ではあるが、
最近仕事中に聴いているのは“Beethoven Radio”。
流れてくるのは文字どおりベートーヴェンの曲だけ、
その徹底ぶりが面白い、ネットの時代ならではだ。
(i Tune → ラジオ → Classical の中にある)
ながらのベートーヴェンというのも、どうかとは思うけれど、
でも、ふとエロイカの第四楽章やレオノーレの序曲第三番などが
流れてくると、妙にうきうきするのだ。
気付いたのは去年の暮れのころだから、もう半年以上も見つからない。
鞄の中のどこか、あるいはコートのポケット?
そのうち、何処かからポロッと出てくるだろう、忘れた頃に。
だから、真剣に探さない。
そしてだんだんと存在そのものを忘れる。
それでも何の不都合も感じないのは、
たぶんソレを必要とはしていないのだ。
かつてのウォークマン初代機もCDウォークマンも、
買ったわりにはあまり使わなかった。
車もカセットテープからCDへ変わったけれど、
聴くことは滅多にない。
まぁ、運転中に音楽に没頭するわけにもいかないし。
などと言いながら、それになんとも矛盾ではあるが、
最近仕事中に聴いているのは“Beethoven Radio”。
流れてくるのは文字どおりベートーヴェンの曲だけ、
その徹底ぶりが面白い、ネットの時代ならではだ。
(i Tune → ラジオ → Classical の中にある)
ながらのベートーヴェンというのも、どうかとは思うけれど、
でも、ふとエロイカの第四楽章やレオノーレの序曲第三番などが
流れてくると、妙にうきうきするのだ。
レオン・フライシャーのピアノ(NHK芸術劇場) [聴く・クラシック音楽]
レオン・フライシャーの演奏に接したのは、ジョージ・セル/クリーブランド管と録音したレコードが最初だった。ベートーヴェンの協奏曲全集、シューマンとグリーク、それとブラームスのピアノ協奏曲。どれもセルを聴くために求めたLPで、たまたま共演者がフライシャーだったということ。
いまではあまり聴かなくなってしまったこのLP、セル/クリーブランドのカチッと引き締まった造形美と、テンポもタッチもそれに良く合ったピアノ、その印象は強く残っている。
さようなら、ラローチャおばさん [聴く・クラシック音楽]
9月25日、ピアニストのアリシア・デ・ラローチャが亡くなった。
2003年、サントリーホールで“日本に来るのもこれが最後、だって飛行機は疲れるし!”とプログラム終了後に、ちょっと残念そうに、でもちょっとお茶目に話していたのが忘れられない。
タグ:アリシア・デ・ラローチャ