春の浮き富士 [水彩画とスケッチ]
3月29日、晴れてはいるが淡い雲が広がる典型的な春の一日。
つい二、三日前まではその姿をくっきりと見せていた富士も、
さすがに春霞には勝てない。
富士は見えなくとも、春霞の海も良いではないか、
と、相模湾を見下ろす展望台に向かう。
海抜90メートルの高台に立つと予想どおりの春景色。
目に映るなにもかもが霞のフィルターに覆われている。
明度は高いけれど彩度の低いその風景をぼんやり眺めていると、
突然、眼前に富士が浮き上がってきた。
もちろんその場に着いた初めから見えていたはずだが、
なぜかしばらくの間を置いてから目に飛び込んできた。
空と海との境も良く分からない、
そんな淡いブルーグレーの大気の真ん中に、
富士山はポンと浮かんでいる。
無風状態と光の角度が作りだす春の幻影のよう。
絵に描いてしまうと、何かが違う。
でも、その印象の一滴をなんとか紙の上に置いてみた。
『春の浮き富士』
F4(32×23.4cm)Drawing Block 水彩とパステル
初秋の鎌倉文学館 [水彩画とスケッチ]
春たけなわというのに秋風景、ところは鎌倉長谷の文学館。
訪れたのは去年11月の半ばころ、
それから四ヶ月後の、この三月に描いた一枚。
鎌倉駅を出た江ノ電、駅の数にして三つ目の長谷駅まで、
その線路にほぼ並行してバス通りが走っている。
友人がその通り沿いにブティックを開いているのだが、
こちら方面にくると、いつも立ち寄るのがならいになっている。
この日も、健康問題や世間話とコーヒーのセットをいただく、
いつもご馳走さま。
そこから歩くこと数分、明るい通りを海側とは反対の住宅街へ入る。
間近には人で溢れる長谷寺や大仏もあるが、
車の影も消え、人通りもちらほらと見える程度の
このあたりの空気はいたって静かだ。
バス通りから二、三分も歩けば住宅街も終わり、
豊かな木々とその背後の山の気配に入り込む。
こういった環境はこの土地ならではのものだろう。
都内から転居した心地よさのひとつを実感する一瞬だ。
住宅街を抜け緩やかな上り坂を奥へ進む。
数メートル進むごとにどんどん深くなる(ような気のする)
木々の密度を味わいながら歩けば、
直に文学館の入口に着く。
この文学館、もとは旧前田侯爵家の別邸だったが
鎌倉市が1985年以来、文学館として使っている。
そういえば目黒に住んでいたときも、
駒場の旧前田侯爵邸は良く通い、絵も何点か描いた。
建物の立派さは本宅のほうが勝っていると思うが、
この鎌倉の別邸のロケーションは格別だ。
南に開けた先に見えるのは由比ガ浜越しの相模湾、
そして明るく広い庭園やバラ園、
にわか鎌倉文学愛好者になるも良し、
日差しを浴びながら庭の趣に身を置くのも良し、なのだ。
今日あたりも、きっと絶好の空気に包まれているだろうなぁ、
と、思いつつ。
『初秋の鎌倉文学館』
F6(41×32.5cm)ホワイトワトソン・水彩
桜、2014年春。その1 [水彩画とスケッチ]
去年は満開のタイミングと諸事情の折り合いがつかず、
それと描く気力もなかなか湧かなかった桜。
もちろん、この気力問題のほうが重要なファクターなのだが、
そんな一年前を思い出しながら今年の桜、まずは一枚目。
ところは、逗子市と葉山町の境にある丘陵地、
その住宅街の中にある桜山中央公園。
この公園、地図上で見ると南北が100メートルと少しなのに、
その両端の高低差が50メートル近くもある。
かなりの急傾斜地にある公園なのだ。
敷地の中央には優に200段を超える階段があり、
それが園内を上下するの唯一の“路”となる。
まぁ、足腰の弱った方やベビーカーを押しながらでは、
花見もままならないわけで、
その点では誰からも愛される公園とは言い難いかもしれない。
それはともかくとして、
その階段の一段ごとに変わる花景色には目を奪われる。
二、三歩降りて、あっ、一段戻ったほうが美しい、
いやもう少し下がったほうが、、、
そんなことを繰り返しながら目に映るのは、
動きを止めない光の粒子と、
まだ濃くなりきらない影が生み出す春の舞台。
当然のことではあるが、
ひと月前に比べ、空気の密度も一段と濃い。
園の比較的に低いところに明るく開けた広場がある。
美味しそうにお弁当タイムを楽しむ人たちを横目に、
そこからの眺めを描いてみる。
いつかは吉野の山の千本桜をこの目で見たいもの、
そんな突然の妄想が頭をよぎりながら。
桜を桜らしく描くのではなく、
満開の桜から受けた印象を描けばよい、
とは思うものの、やはり難しい。
さて、二枚目にとりかかろうか、な。
『桜、2014年春』
F6(40×31cm)ウォーターフォード・ホワイト 水彩