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ナナ、逝く。 [ねこ と いぬ]

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極めて私的かつ感傷的な記事です。
ブログとはそういうもの、とも思いますが、
お気遣いのコメントを頂くのも心苦しく、
今回はコメント欄を閉じさせていただきます。



おとなしいネコだった。
といって神経が細いわけではなく、ここぞというときには存在感を発揮する。
どこか泰然自若といった趣きのあるネコだった。

我が家の三匹のネコの中では体格が一番良く、
慌てず騒がず悠然と歩き、ことあらば抜群の瞬発力、
そのわりに子猫のような可愛らしい声で鳴くところが、
アンバランスな可愛さを醸し出していた。
実に猫らしいネコだったと思う。

あれは七月だったろうか、
少し痩せはじめ、それまでとは違う吐き方をするようになった。
体重5.8キロほどと、ちょっと太り気味だったので、
少しダイエットしたほうが良い、などと考えていた。
が、七月も終わる頃になるとその痩せ方が一気に進んでしまった。
それと反比例するかのようにお腹がふくらみはじめる。

八月に入り、何度も動物病院で診察を受ける。
腹水がかなり溜まっているので、レントゲンでは分かりにくいが、
腸に何らかの異常があるのは確か、
毛玉の詰まり、腸の捻れや閉塞なども考えられるが、
たぶん腫瘍ができている、ひょっとすると中皮腫かもしれない、と。

血液検査をはじめ、超音波診断や造影剤による検査など、
あれこれと調べてもらうものの、
最終的にはお腹を開いてみないと分からない、と医師の話。
ただ、このころすでに体力がかなり落ち、
手術に耐えられるかどうか微妙とのこと。
ほんのひと月前は元気だったのに。

また、手術の結果、(可能性の最も高い)腫瘍が見つかったとしても、
それを取り除いて完治する可能性はきわめて低い。
あっという間に死を迎えるかもしれないが、
それまでのあいだ、精一杯良い思い出をつくってあげるのも、
ナナちゃんには幸せなことかもしれません。
医師のその話を聞き、結局のところ手術は諦める。

その後も、溜まった腹水を取り除いてもらったり、
できるだけの応急処置を受けたが、
衰えは日に日に増すばかり、
この一週間は水もスポイトで飲ませ、食べるものは流動食、
好物の鮭などは食べる意志はあるものの、喉を上手く通らないようだ。

以前は、キッチンのカウンターなど軽く飛び上がっていたのが、
八月も半ば頃には、いったん椅子に上がりそこから登るようになった。
それも、ネコらしくなく失敗することが増えた。

階段を上れなくなったのはいつ頃だったろう。
ひょっひょっと軽快に登る姿はもう見られなくなった。

この数日は、朝目覚めて真っ先にナナを見る。
お腹が動き、呼吸のしるしを確認するとほっとする。

今朝(8日)も、もう一人では行けなくなったトイレを済ませ、
水とわずかな流動食を口にすると、
昼頃には、もうどう見ても危篤状態になってしまった。
3時20分、胸に耳を当ててみても、もう心臓の動く気配がない。
そのほんのすこし前の、苦しそうなひと吐きが最後の呼吸だったのだ。

ナナ、2003年の7月生まれ。
十年とほぼ三ヶ月の生涯。
無くなる五日前の体重は3.8キロ。

もう息をしない体になってしまったけれど、
11日の火葬までのあいだ、精一杯おまえに触れ、顔を眺めるよ、
おっとりとして、でもいつも人の顔をちゃんと見るお前の瞳は忘れない。

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       もう無理と
       階段の下
       座り込む
       ひとみ虚ろに
       吾を見るナナ

         なきごえも
         か細くなりて
         横たわり
         瞳わずかに
         人を追うナナ

       すすり呑む
       流動食に
       ほんとうは
       鮭が欲しいと
       ナナのつぶやき

         骨だけの
         胸に我が耳
         押し当てて
         聴けど音無く
         ナナ永眠す

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天野さんのこと [日々の記録]

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天野祐吉さんに出会ったのは、たぶん1972年頃のこと。
もう40年以上も昔のことで、正確な年も忘れてしまう。
当時、私は20代の前半、天野さんは30代の後半だった。
まだまだ血気盛んな青年のはずだったけれど、
(当時の天野さん、結構短気だった、、、)
やんちゃないたずら坊主のような面もあわせ持ち、
大人と若者が入り交じったような雰囲気を漂わせていた。

その世界に入ってまだ三年ほど、
デザインの技量にせよ広告の作法にせよ、
よちよち歩きの私の目には、
こういう世界にも、なんともきちんと考える、
それもやさしい言葉で考える、そんな人がいるんだなぁ、
と、いたく得心し感化されたものだった。
私にとって、その最たるものが「生活者の視点」という言葉。
つまるところ、この考え方がその後の私の仕事のベースになったのだと思う。

広告作りの仕事もずいぶんとご一緒させていただいたけれど、
やはり印象深いのは「広告批評」だ。
創刊当時の雑誌の表紙や本文の段組のフォーマットなど、
忙しくも楽しく関わらせてもらった。

その活気に満ちたというか一種の躁状態の中で、
できたての雑誌を店頭に置かせてもらうために、
都内の書店をあちらこちらまわったことも思い出深い。

天野さんは音楽にも強い。
あるとき音楽談義(というのかどうか)をしていたところ、
私の好きな指揮者のジョージ・セルに話が及ぶと、
“ セル、カチカチッとしてね、
○○○さん(私のこと)のイメージだねぇ~ ”
と悪戯っぽい目で言われたことが思い出される。

天野さん自身は、
“ 僕はね、同時代を生きている音楽家に興味があるんだよ、
 いまはクラウディオ・アバドかな ”
いつも「今」を見ている天野さんらしい。

長女が生まれたときに、お祝いに絵本(天野さんの自著)を頂いた。
見返しの天野さんの特徴的なサインが今も目に浮かぶ。
数はそう多くないけれど、天野さんの絵本、
私はCMや広告関連のコメントよりも好きかもしれない。

お会いすることもすっかりと無くなってしまった。
数年前に、渋谷でばったりとお会いしたのが最後だった。
“やぁ、○○○君、相変わらず元気そうだね!”
と、あの懐かしい声が耳に残る。

今朝のニュースで亡くなられたことを知り、
この記事を書き、
天野さんはいったいどんな音楽を聴かれたいか、
ふとそんなことに思いを巡らす。
そしてモーツァルトのト短調とジュピターを聴く。
せっかくならアバドの演奏をと思ったが見当たらない、
仕方ない、ジョージ・セルの盤で。

あまのさん おやすみなさい

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