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腰越漁港 [水彩画とスケッチ]

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寒さが緩み、そろそろ梅の花も開こうというその頃、
毎年のように春の風邪にかかっていた。
微熱、鼻づまり、くしゃみの連発、
風邪薬も効かず、何日、いや何週間も続いた。
まだ幼かった子供達と一日中戸外で遊んだ週末の、
そのあとの月曜日はとくにひどかった。
“月曜のさぼり病”、と周囲からの冷たい視線を感じながらも、
やはり仕事にはならなかった。

それが花粉症の症状と気付かされたのは三十代も半ば過ぎ、
もう三十年近くも前のこと。
何のことはない、晴れた日に戸外でたくさんの花粉を吸い込めば、
アレルギー反応が出るのは当然のことである。
それを知らず、マスクもせずに一日中遊びほうけては翌日にダウン、
というわけである。

毎年、二月の十日前後にこんな時だけ敏感な鼻がむずむずし始める。
その機を逃さずに耳鼻科に駆け込み、
薬をきちんと服用すれば、その先はさほどひどくなることはない。


一月の下旬、腰越漁港を訪れた。
空気は澄み、もちろん鼻の奥の粘膜をいたぶる飛散物質の気配もほとんど無い。

ウィンチで引き上げられた船と船の間に見え隠れする江ノ島、
絵には描かなかったけれど江ノ島の右には富士山もくっきり見える。
優しく穏やかな陽差しにようやく春の兆しを感じる。
とにかくこの冬は寒かったから、この日だまりがなんともうれしい。

それからひと月と半。
日没は延び、陽差しがつくる影がどんどん濃くなる。
その分、杉花粉も確実に増えて風景の中にそれは浮遊している。
そんなわけで、三月に入っても梅の様子を見に瑞泉寺を訪れたくらいで、
それ以外はなかなか外に出る勇気が湧かない。
うごめきはじめた春、五感を総動員して感じたいとは思うのだけれど。

『腰越漁港』
F6(41×32.5cm)ホワイトワトソン・水彩

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東急東横線、渋谷駅の移転。 [日々の記録]

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3月16日、東急東横線の渋谷駅が地下へ移った。
これまでの地上2階にあったホームが地下5階に移るのである。
そしてずっと終点だった東横線の渋谷駅が、
東京メトロの副都心線と繋がり、たんなる通過駅になる。
そして見慣れた東横線のホームと改札も無くなってしまう。
そう考えると、やはりある種の感慨を覚えるわけで、
前々日(14日)に「見納め」に向かった。

高校卒業後の浪人生時代、そのあとの学校通い、
そして仕事に就いてからも、この渋谷駅のホームと改札はずいぶんと通った。
都合、45年以上の付き合いになる。
ちなみに家人とこの駅との付き合いはもっと長く優に五十年は越えている。
ということは半世紀以上、、、

かつて東横線には断面がおむすび型の車両が、ある時代にあった。
それまでの箱形に比べ、とても軽快でスマートに見えた。
が、この車両、「おむすび型」の影響で車内の床も端のほうが丸くカーブを描いている、
これが曲者で、ドア際に立ち混雑につれて壁際に押しやられると、さぁたいへん。
床のカーブに合わせて足底がとんでもなく無理な位置になってしまう。
やはり床はどこまでも平らなほうが良い!
と、ぎゅうぎゅう詰めの車内で無理な角度に曲げられた足の置き場に苦労しながら、
渋谷駅に着いてドアが開いたときの開放感、今も忘れない。

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始発・終点でも通過駅でも、駅に変わりはない。
が、ホームの端の車両止めに歩くような速度で近づき、そっと止まる。
次の瞬間、開いたドアから人々は一斉に「次」へ向かう。
その先へ乗り換えるにせよ、街に繰り出すにせよ、
始発・終点駅は「次」へのチェンジ・ポイント、
そこから、また次がはじまる。

これまでの東横線の渋谷駅もそんな駅のひとつだった。
幾百万という人々が改札を通り、そして人々の日々を刻んできた駅、
それが東横線の渋谷駅だった。


ふと昔の東横線・横浜駅を思い出した。
現在は地下深くに潜っているが、
かつては高架、それもかなり高い位置に島式のホームがあった。
吹きさらしのホームから西の方を見下ろすと、
まだ開発前の横浜駅西口が良く見えた。
ダイヤモンド地下街も高島屋も、もちろんホテルもなく、
戦前の資材や砂利置き場だった面影がまだ残る風景。
そんなシーンが小学生だった私の記憶に色濃く焼き付いている。
昭和30年前後の話である。

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