『暮らしの道具展』、代官山T-SITE。 [日々のデザイン]
T君との付き合いは、かれこれ25年近くになる。
出会ったとき、私はそろそろ四十代の少し手前、T君は二十代の後半だった。
以来、仕事の付き合いは数年だったけれど、
とにかく本気の仕事をおたがいに本気で取り組んだ。
私の仕事歴のなかでも記憶に残るものは、
T君と一緒に取り組んだものが多い。
カタチと意味を結びつける鋭い視点と的確な判断力を持ったT君は、
いつも刺激的なコミュニケーションを持てる存在だ。
いまは、年に何度か会うくらいだが、
それでも、短い時間のなかで本気の話のスイッチが入れば、
かつてのように脳内が刺激される。
寒い土曜日の午後、そのT君からメールが届く。
代官山蔦屋で今日から始まった雑貨市に居るのでぜひ、と。
「市」の正式な名前は『暮らしの道具展』。
冷たい雨だけど、ま、歩いて三分、
それとT君に会うのも半年ぶりくらいかな、、、
事前の情報やら知識は一切持たず、
そのため展示されているモノたちが発する周波に慣れるまで、
ちょっと間が空いてしまったのは否めない。
会場に並んでいるのは、まさに雑貨と呼ぶにふさわしいものたち、
その大方の品々が妙に懐かしい。
人の手の仕業が色濃く残っていたり、素材そのものや染め方に
土や木やその土地の匂いが込められたものが目につく。
ふと、子どもの頃に覗いた農家の納屋のような感覚、
というとちょっと大袈裟かもしれないけれど、
これまで慣れ親しんできたモダンデザイン、
そのクリアで鮮やかな彩りの世界とは、明確に違う匂いを発している。
これは規格化されたモノたちが作りだす鋳型にはめ込まれた暮らしのカタチ、
そこへのひとつのアンチテーゼである。
作り手たちの意識の在処に関わらず、それを感じるところが面白い。
生まれたての「代官山T-SITE」の一角に出現した土の香りとでも言えようか。
この数年、雑貨であれ何であれモノへの執着がめっきり薄くなっている。
年齢の所為かな?とも思う。
けれど、今回の展示を見ていると、
モノにはもっと語るべきことがあるし、
地道にしかし着実に発信し続けているモノもある、
私のアンテナが、たんにその声に鈍感になっていただけではないか、
そんな思いも強く感じる。
ちょっと刺激的な展示だった。
◆T君が手がけているブランド
*「暮らしの道具展」にもオリジナルのソックスを出展している。
◆『暮らしの道具展』は代官山蔦屋のガーデンギャラリーで25日まで開催。
フォーレ、そして西行。 [聴く・クラシック音楽]
空が少しずつ高くなってきた。
まだ冷たさを含んだ風が、首元にすーっと入り込んでくるけれど、
ようやく春らしい陽差しの到来、今年は待ち遠しかった。
目黒川のソメイヨシノもそろそろ蕾が弾けそう、
開花はあと一週間くらいか。
この季節、フォーレの旋律とハーモニーが、
条件反射のように浮かんでくる。
そういえば、五年前のいまごろ “春の日の、フォーレ” という記事を書いた。
毎年、同じ音楽を同じような心持ちで聴いていることになる。
まったくもって進歩がないのだ。
(去年はその夢見心地の気分には、とてもなれなかったけれど)
西行が見、詠んだ桜をイメージする。
といっても、吉野に行ったこともなく、
ただ数少ない印象の断片を寄せ集めて想像するだけ。
吉野山こぞの枝折りの道かへて
まだ見ぬかたの花を尋ねん
西行は桜を詠んだ歌が230もあり、
吉野山の桜を詠んだ歌は六十首におよぶとか。
上の歌は、この記事を書きながらふと思い浮かんだもので、
あまり深い意味はない。
フォーレ、
レクイエムもエレジーも、もちろん良いし、
ピアノのための音楽も忘れられない。
そのなかでピアノを加えた四重奏曲と五重奏曲、
そこに散りばめられたアルペジオ、その煌めきは何にも増して美しい。
今年も桜の散る頃まで、その旋律が脳と心の内を駆け巡るのだろう。
12世紀に生きた極東の歌人と19世紀フランスの作曲家、
二人の残してくれた精神の高みと造化の妙、
それを重ねて楽しめる21世紀の愉悦。
春はフォーレ、そして西行。
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私の好きなJean Hubeu盤ではないけれど、
それとどちらも第一楽章のみですが、興味のある方はどうぞ ↓
Gabriel Fauré : Piano Quintet No.1 in D minor Op.89 (1: molt moderato)
Gabriel Fauré : Piano Quartet No.1 in C minor Op.15 (1: allegro moderato)