スケッチ、逗子マリーナの街路。 [水彩画とスケッチ]
暖かい日差し、というより暑いといった方が似合う文化の日、
小坪港までぶらぶらと歩く。
歩き疲れて(といってもたった1.2キロ、、、)、ひとまずベンチにてしばし休憩、
ついでに逗子マリーナの街路をスケッチ。
奥には鎌倉の海とその先の山も見える。
それだけを描くなら簡単ではあるが、
手前に建つマンション、こういった規則的なカタチがけっこう面倒くさいのだ。
軽い気持ちのスケッチなのに現場では描ききれず、自宅にて加筆。
CANSON SKETCH PAD (A4版) 鉛筆
「源氏物語みちしるべ展」 [日々の記録]
さて
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
全編を読んだことなど無論一度も無く、はじめの数ページから先へ進んだことも無い。
でも、この “いずれの御時にか、・・・” は、
まるでベートーヴェンの交響曲第五番「運命」の冒頭のように、
そうそう簡単には頭から離れない。
『正訳源氏物語・本文対照』、
逗子在住の中野幸一氏(国文学者)が著した現代語訳の全10冊。
その第一冊の出版に併せて「源氏物語みちしるべ展」が開かれている。
場所は、JR逗子駅前のギャラリー「アートベース逗子128」。
例えば、
いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、
これは
どなたさまの御代でしたでしょうか、女御とか更衣とか申されるお妃方が、
となる。
千年昔の日本語が読めなくても、
加えて読み続ける気力が湧かなくても、これなら大丈夫かもしれない。
全10冊、、、先は長いなぁと思いつつほんの少し気持ちが動く。
著作の原稿や初校(いわゆるゲラ刷り)から念校までの資料。
(源氏物語も国文学もまったくの門外漢だけれど、
このゲラや念校といった言葉にはピピッと反応してしまう)
複製ではあるが多数の絵巻。
いつもの逗子とは違い、かすかに衣擦れの音が聞こえるような、
そんな落ち着いた時の流れる会場でした。
それにしても、こんな展示が地元で開かれるのは嬉しい。
会場:アートベース逗子128(逗子市逗子1-5-4)* JR逗子駅のほぼ駅前
会期:16日(月)まで
*関連情報
源氏物語展の様子は・・・
逗子在住中野幸一さん「正訳源氏物語」を出版
西風 [日々の記録]
27日、窓越しに仰ぎ見れば見事な快晴、
が、一歩外へ出てみると、強い西風が雲を蹴散らすように吹きつける。
午後3時近く、逗子・披露山公園からの眺め。
目を射る強い反射光、その先の大島までは60キロ足らず。
葉山港の防波堤にあがる波しぶき、
幾重にも重なりながら逗子湾に向かう波、波、波。
この様子と印象、描けるか?、、、
さて、今朝は風も無くいたって穏やかな空、
そろそろ逗子の紅葉を探して絵にしないと。。。
逗子の夕景と音楽とのあいだに、関係は無いけれど。 [日々の記録]
村上春樹の『意味がなければスイングはない』を持ち出すまでもなく、
心地良いサウンドに身を任せるだけが、音楽の聴き方ではない、と思う。
屋外でイヤフォンを耳にすることは滅多にない。
少しでもちゃんと聴こうという、かすかな抵抗かもしれないが、
ともかく耳あたりの良い、あるいは聴き馴染んだ旋律やリズムに
たんに身を任せて聴き流すことに、どこか抵抗を感じる。(なんだか硬いなぁ)
とはいうものの、カラスのトスカを聴けば心揺さぶられ、
モーツァルトのクラリネット協奏曲に涙腺は緩み、
石川さゆりの「天城越え」に情念?を掻きむしられる、、、
(そういえばこの風景、海の向こうに小さく見えるのは天城山)
つまるところ人は「音」に感情を左右されるのも事実ではある。
問題は「何」が気持ちを動かすのか?
それを読み取る、いや聴き取る力なのだ。(ますます硬い!)
午後、久しぶりにブラームスのシンフォニーの2番を聴いた。
これまで繰り返し聴いてきた第2番。
精緻を極めたリズムの処理にあらためて耳を傾ける。
聴き終えて、ふと夕陽が見たくなり近所の丘に向かった。
雲もなく、劇的な夕景にはほど遠いけれど、
地上近くのオレンジ色から青い空へのグラデーションは、やはり気持ち良い。
ブラームスを聴いた後の幸福感には似合う夕景だった。