天野さんのこと [日々の記録]
天野祐吉さんに出会ったのは、たぶん1972年頃のこと。
もう40年以上も昔のことで、正確な年も忘れてしまう。
当時、私は20代の前半、天野さんは30代の後半だった。
まだまだ血気盛んな青年のはずだったけれど、
(当時の天野さん、結構短気だった、、、)
やんちゃないたずら坊主のような面もあわせ持ち、
大人と若者が入り交じったような雰囲気を漂わせていた。
その世界に入ってまだ三年ほど、
デザインの技量にせよ広告の作法にせよ、
よちよち歩きの私の目には、
こういう世界にも、なんともきちんと考える、
それもやさしい言葉で考える、そんな人がいるんだなぁ、
と、いたく得心し感化されたものだった。
私にとって、その最たるものが「生活者の視点」という言葉。
つまるところ、この考え方がその後の私の仕事のベースになったのだと思う。
広告作りの仕事もずいぶんとご一緒させていただいたけれど、
やはり印象深いのは「広告批評」だ。
創刊当時の雑誌の表紙や本文の段組のフォーマットなど、
忙しくも楽しく関わらせてもらった。
その活気に満ちたというか一種の躁状態の中で、
できたての雑誌を店頭に置かせてもらうために、
都内の書店をあちらこちらまわったことも思い出深い。
天野さんは音楽にも強い。
あるとき音楽談義(というのかどうか)をしていたところ、
私の好きな指揮者のジョージ・セルに話が及ぶと、
“ セル、カチカチッとしてね、
○○○さん(私のこと)のイメージだねぇ~ ”
と悪戯っぽい目で言われたことが思い出される。
天野さん自身は、
“ 僕はね、同時代を生きている音楽家に興味があるんだよ、
いまはクラウディオ・アバドかな ”
いつも「今」を見ている天野さんらしい。
長女が生まれたときに、お祝いに絵本(天野さんの自著)を頂いた。
見返しの天野さんの特徴的なサインが今も目に浮かぶ。
数はそう多くないけれど、天野さんの絵本、
私はCMや広告関連のコメントよりも好きかもしれない。
お会いすることもすっかりと無くなってしまった。
数年前に、渋谷でばったりとお会いしたのが最後だった。
“やぁ、○○○君、相変わらず元気そうだね!”
と、あの懐かしい声が耳に残る。
今朝のニュースで亡くなられたことを知り、
この記事を書き、
天野さんはいったいどんな音楽を聴かれたいか、
ふとそんなことに思いを巡らす。
そしてモーツァルトのト短調とジュピターを聴く。
せっかくならアバドの演奏をと思ったが見当たらない、
仕方ない、ジョージ・セルの盤で。
あまのさん おやすみなさい
2013-10-21 15:52
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コメント(17)
私も21日の朝刊を見て、とても悲しくなったと同時に、もう、天野祐吉さんのように、普通に、鋭く、楽しく、切れ味良く、わかりやすく 世の中の動きの「読み方」を示してくださる方がいなくなってしまったこと 残念でなりません。
朝日朝刊 毎週水曜日のコラムはずっと楽しみでした。
前々職、メーカーの宣伝部に配属になったとき、出入りされていた広告会社の方が来る度に「広告批評」を1部こっそり下さって、「ちょっと難しいかもしれないけど、これは呼んでおいた方がいいよ」って。
今でも、本棚の奥に、その頃頂いたのが残っているはずです。
ご冥福をお祈りいたします。
by hidechan (2013-10-22 01:45)
合掌
by engrid (2013-10-22 06:56)
私もニュースを見て本当に残念に思いました。
穏やかで博識で、高ぶらないお人柄に好感が持てるお方でした。
つい最近NHKBSでお見かけしたのに・・・・。合掌
前記事のナナちゃんは虹の橋のたもとでウチのぽん太と会ったかしら?
by ponnta1351 (2013-10-22 07:28)
おはようございますーー
素晴らしい先輩を亡くされたのですね。
ご冥福をお祈りいたします。
by mimimomo (2013-10-22 08:50)
残念、 ご冥福を祈ります。
by Jetstream777 (2013-10-22 17:45)
天野さんといっしょに仕事されていたんですね。
ずいぶん前、会社の講演会に天野さんが招かれたことがあって、お話を聞いたことがあります。
それ以前からファンだったので、とてもうれしかったです。
朝日新聞のコラムもつい最近まで続いていたのに、突然で、驚きました。
ご冥福を祈ります。
by deko (2013-10-22 23:38)
「広告批評」読んでいたのはもう20年以上前でしょうか・・・
天野さんのご冥福をお祈り致します。
by よしころん (2013-10-23 23:04)
お仕事を含めて、すてきなご関係だったんですね。
絵本、おもしろそうですね、今度読んでみようと思います。
ご冥福をお祈りします。
by JF (2013-10-24 12:48)
お久しぶりでございます。
天野祐吉さんとご一緒にお仕事をなさったなんて羨ましい限りです。
天野さんは中学・高校を愛媛県松山市でお過ごしになった関係で、
子規記念博物館の館長や名誉館長をお勤めで
道後寄席にはご都合のつく限りおいでになっていらっしゃいました。
お亡くなりになる1か月前にもおいでになり新井満さんと対談をなさっていらっしゃいました。
まだまだお元気にご活躍なさるものと思っていただけに
残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
by 青い鳥 (2013-10-24 13:24)
天野祐吉さんは、広告そのものよりも、広告を身近に引き寄せてくれた方だと思っています。島森嬢も亡くなって、さびしくなりましたね。
by sig (2013-10-25 16:26)
とても素敵な方と出会い、一緒にお仕事をされて、素敵な言葉もいただいたのですね。こんな出会いってなかなかないですよね。
出会いって希少、この上ない幸せだと思います。天野さんの時間は止まってしまったけれど、みんなの心にいつまでもいらっゃるのだと思います。
静かにお休みください。セルのベト3を聴きたいと思います。
by moz (2013-11-04 18:50)
天野さんには去年お会いしましたが、ぼくもこんな風に歳をとりたいなぁ、という好い風情でした。小学校の先輩でもあり広告批評も好きでした。ブログが閉鎖されたのが残念でした。
by gillman (2013-11-16 16:07)
◎
コメントをいただいた皆さま、ありがとうございました。
天野さんの訃報に接してから、もうひと月が過ぎました。
月日の流れるのはほんとうに早いものですが、
とくにこのひと月はその想いを深くしています。
つい先日に店頭に並んだ『成長から成熟へ』を読んでいます。
目にちょっと悪戯っぽい雰囲気を漂わせながら話す天野さん、
でも、これはちゃんと聞いておかないとまずいな、
と、そう思わせるあの天野節、その声音がいまも耳に届く思いです。
キミ達も楽しちゃダメだよ、世の中とちゃんと向き合いなさいよ、
そう言われ続けてきたような、
その割に進歩のない我が身を振り返る。
そんな日々がこれからも続くのでしょう。
あらためて“天野さん、おやすみなさい”。
by e-g-g (2013-11-21 20:23)
新聞などの短いコラムを読むくらいでしたが、わたしには思いもつかないことを考えられる人だなあと。記憶に残る人です。
by 斗夢 (2013-12-07 05:07)
天野さんと仕事をされてたなんて凄いですね。
広告批評は時々購入してました。
もう何十年も前ですが、当時住んでいた近所で行われた
天野さんの講演を聞きに行ったことがあります。
by akipon (2013-12-09 16:37)
◎斗夢さん
ややこしくなりがちなことを、明快にスッと述べる、
新聞のコラムはずいぶんと長いこと続きましたね。
◎akiponさん
天野さんの講演を聴かれたのですね、
良く通る声と不思議?な説得力、
天野さんはプレゼンテーションの名手でもありました。
by e-g-g (2013-12-23 19:16)
ラジオ番組「天野祐吉の隠居大学」(NHKラジオ深夜便)をよく聞いていました。先夜も、再放送で田中優子(法政大教授)さんとの対談を聞いたばかりです。大変楽しい内容でした。江戸時代は庶民もよく絵を描いていたとの話もありました。
積極的な意味での「隠居」について多彩な内容でしたが、あらためて著書にも目を通してみたいと思っています。
by 北平道敏 (2013-12-31 18:01)