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異形のアルビノーニ。 [聴く・クラシック音楽]

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 立派とか、剛毅とか、清潔とか、流麗とか、ともかくクラ
シック音楽の演奏にはさまざまな形容が付く。事実、堂々と
立派な演奏や、川面を水が流れるように流麗な演奏はあるわ
けで、そういった形容自体が悪いわけではない。もちろん、
聴く前から「これは立派な演奏なのだ!」と構えてしまうの
も考えものだけど。

 つい最近、かなり迷って買ったこのヘルベルト・ケーゲル
のボックスセット、そのなかの8枚目に入っている「アルビ
ノーニのアダージョ」について話そう。

 が、さてこの演奏をどう形容すればよいだろう。オルガン
とチェンバロで始まる冒頭から、早くもただならぬ気配が伝
わってくる。
 曲は静かな足取りで進むが、それは、ただ静かなだけでは
ない、覚悟を決めた歩み。が、決して鈍重に響いては来ない。
いや、響きは透明である、冷たいほどに。質量は高いのに透
明、といった感じだろうか。
 それは、さしずめ、ずっと前からそこにある山が、山自身
はただそこにあるだけなのに、見る者は、その山に近づくに
つれて、静かな大きさを目にする。そして眼前にある山を仰
ぎ見て覚えるある種の寂寥感。喩えていうと、そんな感じで
ある。

 テンポは遅い。この曲は『バロック名曲集』といったアル
バムには、パッフェルベルのカノンなどと一緒に、ほぼ間違
いなく入っている。その哀調を帯びたメロディは忘れがたい
ものだ。向田邦子原作の「あ・うん」のテレビドラマのテー
マにも使われてもいた。覚えている人も多いだろう。
 バロックの名曲といっても、この曲の旋律は、そもそもが
かなりエモーショナルなものである。その起伏のあるメロデ
ィが「あ・うん」で使われたことも納得できる。(このエモ
ーショナルな印象、実はこのアダージョの成立が比較的に最
近、といっても 1945年ころの話だが、そんな事情も影響し
ているようだ。ここでそれを書き出すと長くなるので、その
話はいずれ)
 その感傷的な心持ちに響きやすい音楽を、ケーゲルは確信
を込めた遅めのテンポで進む。それは、まるで葬送行進曲の
ようだ。

 テンポは音楽が進むにつれてさらに遅くなる(ように聞こ
える)。しっかりと何かに向かって決然と歩いてはいるのだ
けれど、いよいよその場が目の前に迫って、歩む速度を落と
すかのように。そして、ほんとうに止まりそうになるまで遅
くなる。

 オルガンとチェンバロに支えられて例の「感傷的な」メロ
ディを弦が奏でる。べたついたところの一切無い、透明感の
ある弦である。妙なしゃくり上げ(この曲の安っぽい演奏は
これが鼻に付く)もなく、淡々とモノローグを繰り広げる。
テンポはさらに遅くなる。このテンポの微妙なうつろいを弾
ききるオーケストラの力量もすごい。どこまでいっても透明
感を失わない。惚れ惚れする合奏。

 そして、CDの5分2秒のところ、衝撃的な低音弦が鳴り
響く。恫喝されたようにも聞こえるこの低音弦の凄まじさは
並大抵ではない。それまでのヴァイオリンが奏でていた旋律
の前に立ちふさがって、ある種の決断を求める、そんな感じ
である。
 その後、音楽は切々とした心情を誰はばかることなく謳い
上げてゆく。といっても、これも鼻に付くような響きではな
い。高潔でさえある。

 と、こんな風に書いても音楽のカタチは何も伝わらない。
かえって悲劇的だの、悲壮感が漂うなど、紋切り型の印象を
強調しているだけかもしれない。
 そもそも音楽は、ただでさえイメージの付きやすいものだ。
「悲愴」「熱情」などと付けば、いやでもある種のイメージ
が湧いてしまう。実際のところ、そういったものを排除して
素直に聴くのはなかなか難しい。それだからこそ、そういっ
た文学的解釈とは出来るだけ離れたところで聴きたいと思っ
ている。

 しかしながら、このケーゲルの振るアルビノーニのアダー
ジョは、そんな思いをはるかに超えて胸に迫るものがある。
いわば形容詞抜きでストレートに響いてくる意志のかたちで
ある。いったい、スコアの何処をどういうふうに読めば、こ
んな演奏が生まれるのか。これは、異形ではあるが奇形では
ない。


 ケーゲルは旧東ドイツ出身の指揮者である。ドレスデン・
フィルハーモニー管弦楽団が最後のポジションだったが、ベ
ルリンの壁の崩壊の後に自殺している(1990 年)。大きな
時代のうねりの先を悲観しての死と言われている。

 ケーゲルの演奏はこれまで聴く機会がなかった。無かった
というより、その死の様子や、またある評論家の“フルトヴ
ェングラー以来の感動云々”という評などが耳に入ってしま
い、あまり積極的に聴く気になれなかった。
 それを今回、買う気になったのはショップの試聴機でベー
トーヴェンの第九を聴いたからである。
 もう、すっかり耳に馴染んだこの曲、その冒頭の数小節を
聴けば演奏全体のおおよそのイメージは掴める。もちろん、
第一楽章の最初の数小節だけで全体を判断するのは危険だし、
後の楽章で驚くようなどんでん返しが待っているかもしれな
い。

 でも、もしそうだとしても、そういった兆候も含めて、冒
頭にはやはり「何か」が反映されているものである。
 ケーゲルの第九の冒頭は、崇高な美しさとか、神秘的な深
さとか、そういったこの曲について良く言われる形容とは、
かなり違う。そこには、差し迫った緊張感というような気配
が漂っている。と、書くとやはりその「死」にどうしても影
響されているようになってしまうが、仮にケーゲルの死が
“普通”であったとしても、たぶんその印象は変わらない。
ここには、たしかに強度の緊張が現れている。

 だから、まずはベートーヴェンのシンフォニー、その九番
か三番あたりから聴こうと思っていた。その前に目に入った
この8枚目を先に聴いてしまったわけだ。で、この盤で立ち
止まってしまい、まだ他の曲を聴いていない。
 ちなみに、このセットの内容を記すと、ベートーヴェンの
交響曲全曲、同じベートーヴェンの三重協奏曲、ブラームス
のドイツ・レクイエム、アルビノーニのアダージョを初めと
したオーケストラピース集、これらが8枚の C Dに納められ
ている。録音年代は1982年から1987年。

 さて、次はどの曲を聴こうか。と同時に 1989年サントリ
ーホールでの公演もCD化されている。「エグモント序曲と
田園」、「運命とバッハのアリア」。この盤の評判は、ケー
ゲルに無関心だった私の耳にもしっかり入っている。その評
判の、ある偏った印象からこれまで聴かずに時が過ぎた。が、
このアルビノーニを聴いたいまは、やはり聴かねばなるまい、
と思っている。

 それにしても、とんでもないCDを買ってしまった。この
セットを聴き終えるのはいったいいつになるのだろう?いつ
も手応えのある音楽を求めているくせに、いざ聴く段になる
と時間のやりくりやら何やらに四苦八苦する。「聴く」とい
うのはけっこうタイヘンなのである。

 最後に、このアダージョは、こんなCDにも入っている。
" Meditation : Classical Relaxation " というタイトルの10枚
組ボックスセット、ちなみに価格は 3000円と少し。このセ
ットを買った人の耳に、ケーゲルのアルビノーニは、はたし
て瞑想的なリラクゼーションをもたらすのだろうか?
 たしかに、瞑想的にはなれるかもしれない。しかし、リラ
クゼーションとはほど遠い演奏と思うけれど。もっとも、こ
ういった極度の緊張を強いる演奏の方が結果としてリラック
スできる、ということもある。というより、私にはその傾向
がかなり強くある。
 ともかく、ごく常識的にいえば、美しく心地よく、リラッ
クスできるアルビノーニのアダージョを聴きたい人には、こ
のCDはお薦めしない。

●セット8枚目の収録曲
1・アルビノーニ:アダージョ
2・グルック:“精霊の踊り”
3・グリーグ:2つの悲しき旋律
4・ヴォルフ=フェラーリ:「4人の田舎者」間奏曲
5・シベリウス:悲しきワルツ
6・グリンカ:「ルスランとリュドミーラ」序曲
7・ムソルグスキー(R=コルサコフ編):
  「ホヴァンシチナ」第4幕〜第2場より
  “見ろよ、引かれて行く、引かれて行くぜ、全く!”
8・F.シュミット:「ノートル・ダム」間奏曲
9・レオンカヴァルロ:「道化師」間奏曲
10・ファリャ:「恋の魔術師」より“火祭りの踊り”
11・エルガー:「威風堂々」より第1番
12・ストラヴィンスキー:サーカス・ポルカ

アルビノーニ以外の曲も、きわめて興味深い演奏だ。

●ボックスセットの規格
“THE ART OF HERBERT KEGEL”8枚組BOXセット
レーベル:Capriccio / 品番:49314


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コメント 14

木曽のあばら屋

こんにちは。
まさに慟哭のアルビノーニですね。
聴いているとつい力が入ってしまって疲れます。
この曲の最も劇的な演奏のひとつですね。
by 木曽のあばら屋 (2008-01-22 22:07) 

e-g-g

◎きぃ*さん
◎xml_xsl さん
nice ! をありがとうございます。
by e-g-g (2008-01-23 11:00) 

e-g-g

◎木曽のあばら屋さん
これまで、このCDを聴いていなかったのは迂闊でした。
厳しい演奏ですが、聴く楽しみも大きいですね。

音楽をちゃんと聴くようになって40年近く、
曲であれ演奏であれ、おおよその見当は付いてしまう。
若い頃に比べ、貪欲に聴き漁ることも少なくなりました。
でも、このケーゲルのような演奏を聴くと、
マンネリ化した耳に、もういちど活を入れよう!
と、そんな気になります。
by e-g-g (2008-01-23 11:07) 

mamire

八枚も入っているとは、いかにもお買い得のようなセットですね。
しかもジャケットの写真が心に訴えてきます。
私は、ファリャ:「恋の魔術師」より“火祭りの踊り”を聞いてみたいです。
いつか、耳コピーで演奏してみたいと考えている一曲なのです。
私も、リラックスするときは緊張が必要なタイプかもと思いました。
音に聞き入る時間はすごく癒される時間でもあります。
by mamire (2008-01-23 19:08) 

e-g-g

◎mamireさん
こんなにコアで、しかも長々しい記事を読んでいただき
ありがとうございます。
もっと簡潔に要領よく書けよ!とは思ってるんですけどね、、、

この「火祭りの踊り」は、洒落っ気とはほど遠い、
けっこう情念的?な演奏です。
でも、そもそも悪魔払いの音楽ですからね、それもアリかと。

ところで、この8枚目だけが単独でも出ています。
『魔法のメロディ〜アルビノーニ、グルック、シベリウス、他
 ケーゲル&ドレスデン・フィル』
お値段は2,070円。
でも、私の買った8枚セットは3,990円、、、さ〜て。

CD情報は↓
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2571695

ちなみに8枚セットの方はこちら↓
http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=422728&GOODS_SORT_CD=102

>リラックスするときは緊張が必要なタイプ

よく分かりますよ〜
音楽の種類やスタイルはどうあれ、
耳をそばだてて、その中にググッと入り込む、
というより包み込まれる、かな?
とにかく、その感じが良いですね。
なので、ながら聴きはできません。
by e-g-g (2008-01-23 20:30) 

mamire

e-g-g さま、情報ありがとうございます。
早速、八枚組みを・・・と思ったら、在庫ありが出ているのに、クリックすると在庫切れ表示になってしまいました。ガク(><;)\
ないと思うとたまらなく欲しくなるものですね。
by mamire (2008-01-24 00:12) 

kita

e-g-gさん こんにちは。
 力作を読ませていただき、深く考えさせられました。長くなります。ご容赦を。

 主として政治体制と音楽の関係です。映画「善き人のためのソナタ」で描か
れたようにベルリンの壁崩壊以前の東欧の人々、音楽家は過酷な環境に置か
れていたのでしょうが、彼らの奏でる音楽には「?」と思うところがあります。
 例えば世評高いスメタナSQです。1972年にベートーヴェンの「セリオーソ」を
聴いたのですが、がっかりしました。そのあとの曲目、スメタナ、ドヴォルザーク
のお国ものとは全く違い、こわごわと小さな音で訴えるところのない演奏でした。
それ以来東欧の独奏者、室内楽奏者の西欧の曲の演奏には背を向けてきま
した。最近netで元コロンビアの川口義晴さんの回顧談を見ていますが、同じ
認識であり共感します。

 ところが、オーケストラは素晴らしい。チェコ・フィル、シュターツカペレ・ドレス
デン、ゲヴァントハウス...伝統もあるのでしょうが、特に西欧の指揮者の場
合に顕著です。何故か?また、1973年にムラヴィンスキー/旧レニングラード
フィルでショスタコーヴィッチ9番、チャイコフスキー5番を聴きましたが、名演でし
た。お国ものということと指揮者=独裁者と考えれば納得?但し、ムラヴィンス
キーのベートーヴェンやブラームスを積極的に聴こうという気にはあまりなりま
せん。N響を振っていたスィートナーも鈍重な印象でした。

 ケーゲルも名前は聞いていましたが、そんな訳で実演もCDも聴いたことはあ
りません。自殺したとのことですが、クルト・マズアのように上手に立ち回ること
のできる人物ではなかった故の悲劇でしょうか。

 蛇足ですが、実演とは異なる記録媒体としてのレコードやCDの存在にも?を
感じることもあります。先に酷評したスメタナSQですが、ベートーヴェンの最高
傑作、作品131は名演です。生で聴いたアルバンベルクSQやハーゲンSQを
凌駕する出来です。もっとも、スメタナSQの生を聴いたあとでは、LPに針を下
ろしていません。生と媒体とは全く別物と割り切るべきなのでしょうが。

 この他フルトヴェングラーとナチスとの関係など思いはめぐりますが、この辺で。ケーゲルとは離れたコメントで申し訳ありませんでした。
 
 







者が
西欧の場合
by kita (2008-01-24 11:56) 

e-g-g

◎mamireさん
そうですね「在庫切れ」と出てしまいますね。
このセットはタワーレコードの限定発売。
店に直接に問い合わせてみるという手もありますね。
ほかのところではたぶん扱っていないでしょうから。
私が買った1月の12日には店頭にワンサカ並んでいたんですけれど、、、
by e-g-g (2008-01-24 17:17) 

ピースうさぎ

こんばんは。
このボックスは5年位前、購入して今でも聴いています。
アルビノーニのアダージョは私自身も言葉に詰まるような演奏で、最初聴いたときは音楽だけでここまで表現できるのだな・・・と驚いた覚えがあります。

同じセット内でブラームスのドイツレクイエムが名演だと思います。
ベートーヴェンはあまり聴いていないので近いうちに聴いてみようと思います。

ご紹介ありがとうございました。
by ピースうさぎ (2008-01-24 18:23) 

e-g-g

◎kitaさん こんにちは
社会主義体制下でのオーケストラは、
コマーシャル的な売れ方を気にすることもなく、
(実際はどうだったのか分かりませんが)
ある意味では極楽だったのではないでしょうか?
それが理想かどうかは別ですけれど。

とくに指揮者にとっては、トレーニングのしやすさ、
楽団のマネジメントにさほど気を使わなくても済むこと
等々、相性さえ合えば相当に恵まれた環境だったのか、
とも思います。とくに常任にとっては。
聴く方も、まったく売れる見込みのない、
またお客を呼べそうにもないプログラム、
そういった機会に触れるチャンスもあるわけですね。
でも、もはやそんな時代ではないのでしょうね。

まぁ、このあたりの事情はつまびらかではありませんので、
まったく素人の推論です。
それでも、音楽の質は確実に変わってゆくのでしょう。

録音と実演の問題は永遠のテーマですね。
こんどのケーゲルのように、
生を聴こうにもそれが不可能な場合、
録音が残っているのはありがたいと思います。

日常感覚としては、
もう少しコンサートへ行ける時間を持ちたい!
と切に思います。
どういうわけか忙しいのが習い性になってしまいました。
そろそろシフトチェンジをしたいですね。
ベートーヴェンのクワルテットも、
そろそろ腰を据えて聴きたいですし。
by e-g-g (2008-01-24 21:15) 

e-g-g

◎ピースうさぎさん おひさしぶりです
タワーレコードの売場にも
“かつて大ロングセラーを記録したファン必携の・・・”
と書かれたPOPがありました。

アルビノーニは、ほんとうにびっくりですね。
ケーゲルのこの演奏、以前に読んだ本の中に書かれていたのですが、
で、ちゃんと読んでいたはずなのに、
トンと忘れていました。
でも初心で聴けましたから、それで良かったと思います。

ドイツレクイエムは未聴です。
楽しさと怖さは、もう少し先にとっておきます。
ようするに、まとまった時間がとれないだけの
話なのですけどね。
by e-g-g (2008-01-24 21:25) 

daland

こんにちは。
なんか凄そうな雰囲気ですね。
ケーゲルは、「展覧会の絵」でびっくりしたこともあります。
でもケーゲルの人生とか思うとどうしても気楽に聴けません。
(印象だけで判断すると名演を逃してしまうかも知れませんが)
by daland (2008-01-27 17:06) 

e-g-g

◎dalandさん おはようございます
私も事前情報の刷り込みが災いして
ずっと手を出さないでいました。
正真正銘、今回が初めてです。
ところでケーゲルの展覧会の絵、
これは聴き物でしょうね〜
毒を食らわば皿まで、、、かな
by e-g-g (2008-01-28 09:02) 

e-g-g

◎三浦半島の住人さん
いつも、ありがとうございます。
by e-g-g (2008-01-28 09:04) 

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