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介護の一年。 [日々の記録]

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昨年末、母が96歳で亡くなりました。大正10年の生まれ、2歳の時に関東大震災、二十の冬には太平洋戦争の開戦。戦後生まれの私には、焼け跡の光景がかすかに記憶に残ってはいるものの、本当の凄さ・酷さは知る由も無し。まさに激動の時を生きてきたのだ、と思いを巡らすばかり。

NHKの朝のドラマ「わろてんか」の時代設定が、今ちょうど大正10年前後。テレビから知る当時の様子、これも何かの縁かもしれないと思いつつ観ています。

一年前、足腰がだいぶ弱ってきたのを潮に実家から逗子に引き取り、介護の始まり。ほどなく家の階段を登れなくなり、一人でトイレに行くことも難しくなり、身体の方は否応なしに衰えてきました。それでも頭の方はいたって元気で、思考や記憶面では、私の方が呆けているのでは?と思うほど、これは幸いでした。

発症が分かった乳癌は他の臓器にも転移。8月末に“ステージ4、余命は2〜3ヶ月”と伝えられました。11月始めに入院する一週間前まではデイサービスにも通い、医師の診断も一年くらいは持ちこたえそう、と変わりましたが、結局その診断どおりに12月に死亡。

さて「介護」ですが、肉体的介護だけでなく、いやそれ自体ある程度までは覚悟さえ決めれば対処できますが、先の見えないことへの気持ちの問題が大きいと、しみじみと感じました。ふっと飛び込んでくる社会的手続きなども含めて、介護を取り巻く様々は、日々頭を離れることが無いと痛感しました。
ともかく、さほど長いとは言えない介護だったのに、まわりが感じる精神的な影響はつくづく大きい、と。いやこれは文句ではなく、これが実態なのだという事実認識。

介護、入院、葬儀とそれに関わる諸々の要件もまだ進行中。そんななかで絵を描く気持ちも日毎に遠ざかり、いまはちゃんと絵筆が持てるのかちょっと心配しています。2月の頭に四十九日をむかえますが、ひとまずはそれを機に描き始めよう、とは思っています。
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侘び助

謹んでお悔やみを申し上げます。
少しの間でも同居・介護をされましたことは大変だったでしょうが
最高の親孝行をなされたことと思います。一人暮らしをする私にも
長男が、退職後、居を定めたとき同居・云々を口にしてくれたこと
嬉しく思い故に出来るだけ元気で今の生活をして行こうと思うも
親心でございます。
by 侘び助 (2018-01-11 21:22) 

gillman

大変でしたね。ぼくの母はもうすぐ98歳になりますが、二年前くらいから認知症がひどくなりぼくの顔も判らない状態ですが、今は居てくれるだけで良いと思うようになりました。
介護はやってみないとなかなか大変さは分からないと思いますが、心理的なストレスも大きいですね。
しばし心と身体を休めてください。
by gillman (2018-01-11 22:18) 

よしあき・ギャラリー

心よりお悔やみ申し上げます。
ご心労が癒えて絵筆をとられることをお待ちしております。
by よしあき・ギャラリー (2018-01-12 05:06) 

向日葵

心よりお悔やみを申し上げます。

介護の為で仕方なかった、とは言え、お母様の最後の日々を
共に暮らせたことは、お母様は勿論、貴方様にとっても
先々かけがえの無い財産になった事と存じます。

四十九日の後、またまたご健筆を奮われることを祈念しております。
by 向日葵 (2018-01-12 07:20) 

よしころん

謹んでお悔やみ申し上げます。
しばらくは心身ともにゆっくりなさってくださいませ。
そしてまたe-g-g さんの水彩画を拝見できることを心待ちにしています。
by よしころん (2018-01-12 08:18) 

浜松自宅カフェ

心よりお悔やみ申し上げます。
一昨年、父が逝ってから実家は母親一人。
それでも隣に住む従兄の奥さんが何かと声を掛けて気づかってくれて
いたのに、昨年12月59歳の若さで突然他界。
母親の話し相手が少なくなったことで、いよいよこれからの事を真剣に
考えなくてはいけないと妻と話しています。
それだけにこの記事は何か身につまされるものを感じました。
by 浜松自宅カフェ (2018-01-12 08:28) 

いろは

謹んでお悔やみ申し上げます。
東北の震災の時、確か「90歳を越えている母が箱根に行っていて...」と書かれた事を思いだします。
ステージ4 余命は4ヶ月と言われながら我が家は1年生きました。
でも治療は辛いものでした。
これから寂しくなりますね。ご心労が癒えて絵筆をとられる日を
心からお待ちしております。お身体をお大切になさってくださいませ。
by いろは (2018-01-12 14:55) 

e-g-g

◎侘び助さん
お言葉、ありがとうございます。
いわゆる在宅介護は一年でしたが、その5年ほど前から毎月の受診の付き添い、
日常の様子伺いなどなど、往復80キロの道のりを数え切れないほど通いました。
この離れて暮らしているが故の心配の方が、気を使うことが多かったですね。
深夜に電話が鳴るたびにドキッとするのは、心臓によくありません。その点で
は、いつも様子が掴めている同居の方が安心は出来ました。ただ “ 面倒をかけ
たくない”という母の気持ち、これは強くなった気がします。難しいですね。

by e-g-g (2018-01-12 17:25) 

e-g-g

◎gillmanさん
コメント、ありがとうございます。
私の母は認知症の気配はまったくなく、医師も驚いていました。幸いなことで
す。仰るように介護は心理的ストレスが大きいですね。絶対的な解決策が見え
ず、当たり前ですが先の見通しが立たない、これがストレスの大きな要因かと
思います。

by e-g-g (2018-01-12 17:37) 

e-g-g

◎よしあき・ギャラリーさん
お言葉、ありがとうございます。
心労がたまっていたのかどうか、その点は本人には分からないのです。ただ、
絵を描く意欲がまったく湧かなかったことも事実なんです。これから少しずつ
復活したいと思います。

by e-g-g (2018-01-12 17:41) 

e-g-g

◎向日葵さん
お言葉、ありがとうございます。
最後の一年は、本当に思うこと多々です。自分自身もやがて老いを迎えるわけ
ですが、いざその時に及んで、どんな老人になっているのか?不安と興味が、
交錯しています。

by e-g-g (2018-01-12 17:46) 

e-g-g

◎よしころんさん
お言葉、ありがとうございます。
今はちょっとボーッとしています。なにかリフレッシュしたいですね。
まずは表へ出てスケッチ、このあたりから始めようかと思っています。

by e-g-g (2018-01-12 17:48) 

e-g-g

◎浜松自宅カフェさん
お言葉、ありがとうございます。
母は5年前に両大腿骨を骨折、怪我はリハビリの結果、だいぶ良くなりました
が、それ以来日々の暮らしにも不便を来すようになりました。それからですね、
こちらの覚悟を決めるようになったのは。といっても、具体的に何をどうすれ
ば良いのか皆目見当もつきませんでした。いまのところ、介護のキーパーソン
はケアマネージャーです。まずはしっかりと話のできるケアマネージャーとの
コミュニケーションが第一かと思います。(語弊はありますが)良いケアマネ
ージャーと出会えるかどうか、これ大きいと思います。

by e-g-g (2018-01-12 18:02) 

e-g-g

◎いろはさん
お言葉、有りがたく頂戴します。
あっ、震災の時の母は家内の母です。やはり今年96になりますが、今も元気で
一人暮らしを続けています。もちろん、頻繁な顔出しは必須ですが、、、。
余命については医師もその判断が難しいようですね。基礎体力がおありになっ
たのでしょうね。
母の乳癌は、高齢のため治療の選択肢も限られ、結局は痛みを和らげることが
唯一の治療となりました。命日は12月16日ですが、実はその翌々日には入院先
(横浜・青葉区)から逗子の療養型病院へ移る予定だったのです。亡くなる二
日前の14日に交わした “新しい病院は景色はいいの?どんな病院なの?”これが
最後の言葉でした。
母の生きた96年とはいったいどんな時代だったのか、と、これまでとはちょっと
違った思いで、大正・昭和・平成にぼんやりと思いを巡らしています。
絵も、そろそろですね。

by e-g-g (2018-01-12 18:23) 

achami

謹んでお悔やみ申し上げます。
まだまだ事務的なことやその他で翻弄されるかもしれませんね。
お疲れが出ませんように。
by achami (2018-01-12 20:35) 

タックン

謹んでお悔やみ申し上げます。
大正・昭和・平成と96年の年月の生を生きられたのですね。
すごいことだと思います。
私も10年近く母の介護をしましたが、介護の最中には
日々葛藤で自分の心との戦いでした。
でも母が亡くなったあと、その葛藤の日々が波が引くように
消えました。
どんな形でも、親は生きている間は常に子供の前を歩いていて、
生のあり方を教えているのだと、今つくづく思います。
晩年濃い時間を過ごされた分、これから寂しくなりますね。
by タックン (2018-01-12 20:51) 

barbie

お母様のご冥福を心からお祈りいたします。
うちは父が89歳で母が85歳ですが今のところ問題もなく心身ともに元気ですが、来年の今頃はどうしてるかな、とふと不安になったりします。
この一年、ご家族にとって穏やかな一年になりますように。
by barbie (2018-01-12 23:38) 

e-g-g

◎achamiさん
お言葉、ありがとうございます。
ボーッとしている暇はないのだぞ!と、さまざまな事務処理がありますね。
気持ちの上での話しですが、その過程が亡くなった事実の受容と、ある意
味では平常心を保たせる人間の知恵なのか、などとも考えてしまいます。

by e-g-g (2018-01-13 18:29) 

e-g-g

◎タックンさん
お言葉、痛み入ります。
10年の介護とは、ご苦労さまでした。私が感じたストレスの度合いなど比
べものになりませんね。想像を超えた領域です。
ただ、“ 波が引くように・・・ ”、これは良く分かります。まるで朝方に張っ
た氷が、陽差しを受けてスーッと融けていくような、そんな感覚があります。
さて、亡くなってからほぼひと月ですが、生前には気にも留めなかった母の
言葉の数々が、頭にふっと浮かんできます。親子って、何なんでしょうね?

by e-g-g (2018-01-13 18:48) 

e-g-g

◎barbieさん
ご丁寧に、ありがとうございます。
ご両親のご健在なこと、喜ばしいことです。そのうえで現実的な話しで恐縮
ですが、介護はある日突然始まります。この先にどんなことが起きるのか?
要介護認定などをとおして、気持ちの準備だけはされておいた方が良いかと
思います。見えない・分からない!これが、不安のいちばんの元ですから。
barbieさんのことですから、そのあたりのご配慮はすでに十分かと思います。
失礼の段、ご容赦ください。

by e-g-g (2018-01-13 19:03) 

東雲

謹んでお悔やみ申し上げます。

親の「見守り」「介護」の大変さを 実感する毎日です。
離れているが故の心配、同居故の、違った意味の気遣い、ストレス・・・
どちらがお互いにとってベストなのか、まだ答えが出せずにいます。

来月初めに四十九日、という事ですが、
ほっとした頃にお疲れが出てくるのでは?と思います。
e-g-gさんも、そして奥様も、どうぞお体をお大事になさってくださいませ。
by 東雲 (2018-01-15 09:36) 

e-g-g

◎東雲さん
お言葉、ありがとうございます。
離れての見守りと同居しての介護は、その切替のタイミングが難しいですね。
同居以前、母は炊事洗濯など身の回りのことはなんとかやっていました。同
居後、その労が無くなると、却って手持ちぶさたになり寂しさも覚えるよう
になったようです。自立の意欲は、もちろん体と心の状態によって様々とは
思いますが、一度切れると元に戻りにくいようです。
いずれにしても、ひとつひとつの事に当たって最善の道を探る、それしか無
いのでしょうね。様々な局面での判断は、その都度自分の人生観への問いか
けかと。(ちょっと大袈裟ですね)
東雲さんは、母上様との物理的な距離も遠いですよね、それを変えることは
できませんが、やはり「思う気持ち」がすべての原点かと思います。どうぞ、
前向きに進まれてください。

一昨日は年金事務所、昨日は寒中の喪中ハガキの印刷のアップ。今日はこれ
からケアマネージャーに書類記入の依頼に、、、。四十九日頃まではいろい
ろありますね。これも、死を受け入れるためのある種の人の知恵かと、へん
なところに感心しています。

by e-g-g (2018-01-17 09:04) 

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