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『殯(もがり)の森』再 [見る・観る]

感動した!だけでは、何も語ったことにならない。
で、昨夜に見た『殯の森』の感想を少し。

 しげき は33年前に妻を亡くした認知症の男。その しげき の暮らすグループホームに我が子を亡くした介護福祉士の真千子がやってくる。この二人が、ある日、妻の墓を訪ねて森の中をさまよう。その過程で、徐々に通い合う二人の心と、おたがいの肉親の死に向き合いそれを乗りこえようとする心の動きをとらえた作品。


 肉親や近しい人の死には、誰でも遭遇する。昨日までたしかに生きていた人が、なぜ動かないのか?と、不思議に感じても事実である以上、それを受け止めなくてはならない。葬儀、埋葬、法要、といった一連の儀式は、生きている人間がその死をしっかりと受け止めるための手続きだ。ただ、そういった儀式が済めば、それで人の心は片が付くということでもない。

 日本には昔から、肉体は山に埋め(埋め墓)、家の近くに別に墓(参り墓)を作るという風習があった。火葬がひろまってその二つが合わさり、現在のような墓のかたちになったわけだが、それは明治の終わり頃になってやっと今のようなカタチに落ち着いたらしい。我々の、三代、四代くらい前までは、ちょっと想像できない死者の弔い方の歴史があったのだ。

 死者の亡骸を山に埋めるのは、そこで死者が森と同化するということ。そしてその霊が生きている人間達を守ってくれる、という考え方である。
 ときおり訪れる森に、たんに空気が旨いといった自然派的な印象だけでなく、畏れとか奥深さを感じるのは、やはり山の霊=死者の魂の存在を感じるからだろうか?
 ま、そんなことは滅多なことでは考えもしないが、それでも、ほんのちょっとでも森の中へ足を踏み入れると、たしかに何かに敏感に反応する感覚を覚える。

         *    *    *

 英雄的な死、悲劇的な死、様々な死のかたちが映画で語られてきた。それらを見て、幾度も涙を流し、心の洗われる思いをした。映画とは、所詮作り話なのに、でも、そこにある真実にハッと目覚め、涙するのである。
 ただ、多くの映画が語ってきた死のかたちは、はたして日本人の心の奥底にあるものと同じだろうか?もっと違う死のかたちがあるのではないか?『殯の森』を見て、真っ先に感じたのはこの点である。
 あまり正確な書き方ではないけれど、これは西欧的な死のかたち(より端的に言えばキリスト教的な死のかたち)に対して、どこかで感じる違和感ではないか、と思う。

 死の受け入れ方、そしてその死との交流の仕方。そのことについて、日本的なかたちと西欧的なかたちのどちらが良いか、などというのは意味のないことである。それは、その地域の人々が作り上げてきた固有のかたちなのだから、理論的に解明してどちらかに合わせる、という筋合いのものではない。
 そのうえでの話だが、死のかたちも、多くの芸術表現も、また現実の暮らしぶりも、西欧に接して自分たちの暮らしの中に同化させてきた歴史。日本のこの百数十年は、そういった歴史である。その結果としての、現在の暮らしである。
 『殯の森』は、そういった限りなく西欧化した日本人の心の中に、まだあるかもしれない「死のかたち」を、もういちど思い起こさせてくれる。そういう映画である。

 ところでカンヌの審査員はこの映画をどう見たのだろう。もっとも、西欧、ヨーロッパといってもキリスト教的世界観が唯一ではない。いまは周縁になってしまったけれどケルトをはじめ、キリスト教以前の世界観もある。いまのヨーロッパの眼がこの映画をどう見たかなど、気にすることはないのかもしれない、でも興味は覚える。

 映画の冒頭からラストシーンまで、田園と森の緑の連続である。明るく開けた田園から、森の奥へ入るにつれて次第に濃く深く、そして薄暗くなる緑の、その過程の描写も美しい。ロケ地は奈良とのこと、いちど訪ねてみたい。


 映画の話をするときは、ストーリーをどこまで話して良いのやら迷う。けれど、この映画はストーリーをあらかじめ知ってから見ても、面白さを味わうための障害にはならないだろう。
感心のある方は、http://www.mogarinomori.com/をご覧ください。

 映画の最後のスーパーに、「殯(もがり)」は、喪が明ける意、か。とでてくる。


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のすけの母

そういう話なのですね。
私も、昨夜録画だけはしておきました。
ただ、今仕事が忙しく、家にも仕事を持ち帰っていて、しばらく映画をゆったり見る時間はとれそうにありません。
いつか見られれば、と思っています。

初めてこの映画の題を見て、「殯」の言葉に惹かれました。
古代、天皇が崩御したとき、かりもがりしたのを「殯」と言うのではなかったでしょうか。
古代史好きにはたまらない響きの言葉です。
(古代とは限らないのかな?)
by のすけの母 (2007-05-30 21:49) 

mio

私、本業が老人福祉ですから、この映画には興味があったんですが、ますます見たくなりました
仕事柄、多くの死に直面します
今日も午後、危険な状況に遭遇しました
幸いその方は生命力が強く大事に至ることはなかったのですが・・・
日本国内にも多くの宗教が存在し、それぞれに「死者を弔うこと」の解釈が違います
この映画はどのような解釈なのか気になります
by mio (2007-05-30 22:25) 

e-g-g

◎のすけの母さん
「殯」という字、見たことはあるけれど何と読むの?それにしても古い時代を感じさせる字だ、と思っていました。中国にも近い風習があるそうです。東アジアでは比較的に受け入れられてきたのでしょう。いずれにしても古代史の世界ですね。

◎mioさん
福祉の専門家が見たら、私のような観念的な見方とは、ひと味もふた味も違った感じ方を持つのでは?
日本の宗教がどのように発展・分化したのか?そのあたりは門外漢ですが、この映画のテーマは、そういった制度としての宗教が成り立つ以前の死のあり方に、フォーカスしていると思います。より根元的なところでとらえる死、という点で、その態度自体は宗教的とは思いますけど。
by e-g-g (2007-05-31 00:04) 

eguchiさん
ご来訪いただきありがとうございました。
私も欧州の方たちがどういった感じ方をしたのか気になりましたが
私の家内は、”宗教観は違うだろうけど、大切な人を亡くした
人の感情は国籍を問わないからね”と感想をいってました。
深いところまでえぐって考えると難しいですが
年齢や境遇が違うけど、しげきさんと真千子さんの接点(愛する人の死)に
何か共感をおぼえたのではないか、との見解のようです。
もちろん国籍問わずとらえ方は十人十色ですけれどもね。
ではまたこちらにもおじゃましますね。
by (2007-05-31 09:04) 

e-g-g

◎カフェオランジュさん
コメントをいただきまして、ありがとうございます。
記事では、日本的か西欧的かについてちょっと舌足らずだったと思います。日本的、西欧的といった分け方を超えた普遍的なものの見方は確実にあると思います。そういったことを、もう少しじっくりと腰を据えて考えてみたいものです。
映画は、そんな視点を提供してくれるありがたい表現ですね。
by e-g-g (2007-05-31 14:06) 

e-g-g

◎ xml_xsl さん ご訪問、ありがとうございます。
by e-g-g (2007-05-31 14:11) 

umi_umi

友人が事故で亡くなってから、時々考えることがあります。

死んだら人は何処に行くんだろう?
自分が死んだら、先に死んだ人に必ず会えるのかな?って。
今までそんなこと考えたこと無かったんですが。
祖母が死んだのは中学2年。
とても身近な人の死は、それからずっと無かったんですよね。
友人が亡くなるまでは・・・。

海のそばの町に住む人・・・漁師さん・・・のお墓は、
みんな海の方を向いてますよね。
海に、帰れるようになのかな、と、海沿いを走る度に思うのでした。
by umi_umi (2007-05-31 18:08) 

e-g-g

◎海さん
東京のような街で暮らしていると、お墓は生活圏からは離れた墓地などにある、というケースが大半でしょう。
漁師の海の墓も、山の墓も、ほんとは暮らしのちょっと先の、すごく身近なところにあったのでしょうね。
お墓も死も、普段の暮らしの隣にあったのだと思います。これはたぶん、日本に限らず世界共通のことと思います。
by e-g-g (2007-06-01 14:30) 

mamire

『殯の森』ニついては、見てないのでなんとも申し上げられないけれど、死の形については時々考えますね。
実家には、もうだれも住んでいない田舎に、先祖代々の墓があります。
eguchiさんが言うように、もしかしたら体は、山に埋めて、住んでいるところにお墓を立てたのかなぁと思います。

時代とともに、田んぼが桑畑になり機織工場になり、土地は人の手に渡ってもお墓だけは動かせませんでした。
この墓は、祖父母の代まで。

私は、最後は両親の元に帰りたいと思っています。
悲しむのだったら思い出さなくてもいいよ、と娘にいっています。
by mamire (2007-06-05 19:47) 

e-g-g

◎響さん ◎koma さん nice !をありがとう

◎ m a m i r e さん
私は代々の墓への執着はありません。それでも自分のルーツがそこにあるのはたしかな事実。
そういった「今と過去との関係」を場合によっては切り捨てて、いまの社会、とくに都市化された社会があるわけですが、それは、ほんのこの数十年の特異な現象ですよね?
生まれた場所で死んでいく、それは私たちの祖先の大方の人間にとって当たり前のことだったはずです。その積み重ねが、今の私たちの精神の基本を形づくってきたのですよね。そのよすががあるのは、やはり幸せなことと思います。

映画は、かなりお薦めできると思います。是非、ご覧になってください。
by e-g-g (2007-06-06 00:10) 

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