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三軒茶屋の小さな祠(大山街道) [歩く]

 東京世田谷の三軒茶屋は、いまの世田谷ボロ市通りと大山街道(国道246号線)の分岐に出来た追分けである。かつて、そこに三軒の茶屋があったところから付いた地名である。ちなみにボロ市は400年以上も前から続いているという。昨今のフリーマーケットとは年季の入り方が違う。が、今回はそのボロ市の話ではなく、大山街道に残っている小さな祠の話し。

 国道246号線の三軒茶屋の交差点を玉川方面に300メートルほど進むと、向かって左側にゆるく円弧を描くような脇道がある。大山街道である。今は、街道の非効率的なカーブを串刺しにするように国道と首都高速が走り、クルマは圧倒的にそちらに流れる。だから、国道からほんの数十メートルしか離れていないのに大山街道は、けっこう静かである。
   
 この旧大山街道は、ほぼ600メートルほどで終わってしまい、また国道に合流する。その中ほど、世田谷区上馬1丁目に、マンションと雑居ビルに囲まれて伊勢丸稲荷大神がある。大神というのはどういうものかは知らないし、そもそもは大明神とも思うが、鳥居には「伊勢丸稲荷大神」と掲げられている。が、とにかくその名とは裏腹にとても小さな祠である。

 この伊勢丸稲荷大神、街中の鎮守様のイマを象徴するような環境である。まずその敷地の三方がビルに囲まれている、というより取り囲まれているといった方が良いほどに、コンクリートの塊に押しつぶされるように建っている。また、鳥居の前は、本来なら短くても参道のはずだが、なんとその手前数十センチのところをブロック塀が遮っている。この塀と大山街道との間の僅かな土地を駐輪場にしている結果であるが、なんとも奇妙な光景である。

 ともかく街の中の鎮守様は生き延びていくのもたいへんである。鎮守といえば森だが、この狭い空間には当然のことながら森はおろか木々の集まりも見えない。しかし、しかしである、駐輪場を確保するために強引に建てたブロック塀の一部を割るように、かなりの大木が残っている。本来ならそうとうに立派な樹型と思うが、これも周辺に配慮してか、地上数メートルのところでバッサリと切られている。また枝も徹底的に剪定されている。駐輪場を作るときに、邪魔だからこんな大木は切ってしまえ!という声もあったかと思うが、でも、それを言ってはオシマイである。鎮守にはやはり「森」が要るのである。このブロック塀も遠慮した大木(の名残)は、その象徴としてかろうじて残ったのだと思う。

 スペース問題は如何ともしがたいものだろう。いまはもう、猫の額よりもさらに狭いスペースに押し込められているこの祠、都市化する以前にはこの辺り一帯の人々の暮らしの中で、ちゃんと役割を果たしていたと思う。祠の石板には、その由来もちゃんと彫られている。本来であれば、神様にももう少しゆったりとしていただきたい、という願いもきっとあったはずである。いまではブロック塀でさえぎられ、鳥居をくぐることもできないが、きれいに手の入った“境内”は、その名残を感じさせる。

 名もあり、規模も大きく、また観光地化された神社はそれなりに残るだろう。しかし、次の変革、変動の時にこの小さな祠が残る保証はどのくらいあるのだろう?。鎮守の森は良いものだなどと言いながら、実生活からは、かけ離れている神社。そんなものはあっても無くても関係ない!ような感じもするが、でも、何から何まで合理的に決めれば良いというものでもない。街の中の小さな祠は、そういったことを考るきっかけを与えてくれる。が、そんなニッポン人のDNAはいつまで残るのだろう?

◎大山街道の故事来歴、由来については、すでに詳しい案内があるのでここでは省きます。関心のある方は、Wikipediaなどで調べていただければ、要領よくまとめられた説明があるので、そちらの方を参照していただればと思います。


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mio

都会の鎮守様も大変なのですね
田舎は田舎で大変です
管理すべき人たちが高齢化、街へ出ていってしまい荒れ放題、「鎮守のジャングル」と化し、祠も朽ち果てているところもしばしば
八百万の神も、今にこの国を見限るのではないでしょうか
by mio (2006-12-18 21:59) 

e-g-g

鎮守のジャングルですか〜 耕作を止めてしまった棚田問題と同じ構図でしょうか。
神道とかそういった方面にはまったく疎いですけど、八百万の神的なるものは、なんだかんだと私たちの暮らしに、入り込んでいますよね。それはひとつの文化であると思いますけど、この先、いったいどう変わっていくんでしょうね〜
by e-g-g (2006-12-18 22:14) 

kokudoh

なんだか、すごい神社ですね。
あの木を切ってしまうと、タタリが
ありそうです。(^^;
三軒茶屋というと、私にとっては
東急世田谷線(玉電)を思い出しますねー。
by kokudoh (2006-12-18 23:57) 

e-g-g

◎takさん こんばんは
なんだか、すごいでしょ。鳥居の赤なんか妙に派手というか、ちょっとどぎついほど。氏子の怨念が込められているんですかね。
玉電、車輌も新しくなりましたが、依然としてのんびりと走ってます。
by e-g-g (2006-12-19 00:29) 

友人が三軒茶屋の大学に通っていたので、下宿に遊びに行った事がありますが、ゴチャゴチャしているイメージでした。後に二子玉川に住むようになってからも、三軒茶屋を通ると、友人を思い出しました。
by (2006-12-19 11:33) 

響

大明神様の住宅事情も大変なのね、
国家公務員の社宅を知ったら崇りになるかも。(笑)
それにしてもブロック塀をまたいだ大木が凄いです。
by (2006-12-19 19:29) 

e-g-g

◎月光14thさん
道は江戸時代と変わらず?なのに人も家も増えて、超過密になったという典型の街と思います。その昔はけっこう長閑な所だったも思いますけど。二子玉川も高島屋が出来たところは静かでした。(もう、何十年も前の話ですけど)いまはけっこう賑わってますね。うっかり、土日にタマタカへ行くと、クルマを停めるのがタイヘンです。

◎響さん
ええ、狭苦しそうです。それでも、こうやって残っている。たいしたものと思いますね。

それにしても、今日のソネットブログはひどいですね〜これから、また緊急メンテナンスとか、、、
by e-g-g (2006-12-19 23:33) 

友人が三軒茶屋に住んでいます。国道と
首都高のすぐとなりのマンションに。
雑多な町という印象でしたが、少し奥に
入ると違う風景があるものですね。
by (2006-12-23 00:55) 

e-g-g

◎akipon さん おはようございます
三軒茶屋も、昔ながらの良さがきっとあったんだろうと思います。その「昔」と「今」がぶつかり合って雑多な印象になってしまったんでしょうね。でも、国道から少し離れれば、けっこう良いところもありますよ。ちょっと古めのポイントは、それなりに残って欲しいですね。
by e-g-g (2006-12-23 09:37) 

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