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ターナー展とHBとCANSON。 [水彩画とスケッチ]

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15日、冬晴れに誘われて久しぶりに屋外スケッチ。
使うのは三菱uniの「HB」、それと練り消しゴムを少々、
紙はCANSONのスケッチパッド。
場所は逗子マリーナの遊歩道、
コンクリートづくりの防波堤の向こうは相模湾。
立てばその海も視界に入ってくるが、
暖かい陽差しの降り注ぐこんな日は、
ゆっくりとベンチに腰掛けて、のんびりと描く。
ようするに立ったままで描く気力がないということ。

この四日前(11日)、滑り込みでターナー展を観る。
ほとんど抽象画ともいえるような『カラー・ビギニング』の数々、
これはやはりとても刺激的な作品群だった。
それから、黒をこんなに使うのはそれまでの絵画のタブーへの挑戦?
と思わずにいられない『平和ー水葬』などなど。

いっぽうでターナーという人はけっこう俗っぽさも併せ持っていたようで、
絵の舞台裏を知ると、ちょっと複雑な気持ちになる作品もある。
もちろん図抜けて上手いのだけれど。
(ちなみに、この会場の音声ガイドは良くなかった。
 制作にまつわるエピソードを知りたい人には良いが、
 肝心の作品の読み解き、これはごくごく常識的なもの。
 これならNHKの日曜美術館のほうが気が利いている。)

鬱陶しいヘッドセットをそれでも500円も払ったのだからと、
俗物根性丸出しで聞きながら、
そのガイドが触れない小さなスケッチ類が気になった。

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ガラスケース越し、薄暗い照明の下のスケッチブック。
例えば『ドレスデン、テブリッツ、プラハ』のスケッチは
一葉がほぼハガキ大ということもあって、ちょっと見づらいが、
どこか親しみの持てる柔らかなタッチに目を引かれる。
その落ち着いた、でもどことなく楽しげな筆致から、
一瞬、安野光雅さんの絵を思い出したり、
きわめて私的にはハガキサイズのスケッチブックが欲しくなったり。

それはさておき、それらは文字どおりのスケッチだから、
あくまでも作者の「覚え」である。
それでも、というかそれだからこそ、
その時その場にいたターナーの素直な目が感じられるような気がする。
時を経て薄茶けてしまったスケッチブックなのに、
たったいま描いてきたような感覚を覚えながらしばし眺めた。

大判の素描もある。
例えば『イーリー大聖堂:オクタゴンの内部』(78.2×59.3cm)。
幸いその素描の前は観客も少なく、
時間をかけてよくよく眺めてみると、
複雑な聖堂の内部、そのゴシック様式のディテールを、
遠近法に(たぶん)細心の注意を払いながら、
根気強く丹念に描いている。
その精度の高さは、画家にとって欠かせない基礎素養なのだ、
と、宣言しているようだ。

その先どんなタブローを目指すのか、
それはもちろんそこに見いだすテーマによって変貌する。
ほんとうの勝負はここからだ。
でも、先ずは素描がしっかりしなければその先もない、
と、強く感じる一枚だった。

トビカンを後にして、上野公園を歩きながら、
いま見たばかりのスケッチの残像を反芻する。
世に名高いターナーの名作も、もちろん収穫だったけれど、
はじめて見た素描は、気持ちの奥にストンと落ちた。


さて、今年はなにやかやと気の急くことが続き、
絵はあまり描けなかった。
そんなさなかのターナー展、
これは、とても参考、いや刺激になった。

洋の東西を問わず、名のある画家の素描やスケッチが、
並外れて上手いことはどの展覧会でも経験する。
でも、今回のターナーの素描には、
その技術の端っこにわずかに近づけるような、
そんな親しみやすさが感じられた、ほんの少しだけ。
それが、たとえ素人の思い違いや浅はかな見方であったとしても。


ターナー展の後に、このスケッチを描いたのに深い理由は無い。
でも、雑に描くことだけはやめよう、そう思ったことはたしかだ。
そして、来年はもう少し描こう、
スケッチもしっかり取り組んでみよう、
と、決意だけはしておく。


「ターナー展」と題しながら、一点の素描以外は載せていません。
ターナーの絵はネット上でいくらでも見られますから、
興味のある方は、どうぞ探してみてください。

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