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3月11日の記録 [日々の記録]

サブ(のサブのような)のWindowsのワイヤレス接続が不調になった。
ネットワーク接続やらなにやら調べて、
といってもWinのことはよく分からないわけで、
こりゃ困った、と椅子から立ち上がったら、珍しく立ちくらみ。
いやだなぁ、どこかカラダの具合が悪いのか、、、
その変な感覚が地震と気付いたのは、何秒後だろう、
建物から外へ出られなくなったら大変、
慌てて表へ出るのは危険だが、ともかくドアを開ける。

三匹の猫のうちでいちばん敏感なナナが、
不安げな顔をしてうずくまる。
大きくゆさゆさと揺れることから、震源が遠いことは分かる、
しかし大きな揺れだ。
これまで体験した地震の中でいちばん大きい。

ガレージのクルマがぴょんぴょん跳ねる、
建物全体から、ミシミシというかギシギシというか、
ともかく苦しげな音が聞こえる(ような気がする)。
建物が一挙につぶれることはないだろうが、
このまま揺れが大きくなると、やはり心配である。
二階で花瓶か何かが落ちる音がする。
一階にいた私は、家人に下に降りるように大声をかける。

十分か十五分か経ち、家族、縁者の安否の確認を始める。
繋がりにくい携帯電話を握りしめ、
なんとかだいたいの無事は確認できた。
が、90歳を少し過ぎた義母と連絡が取れない。
元気な友達数人と昨日から箱根に出かけていたのである。

予定では11日の三時過ぎには帰宅とのことだが、
その義母宅の固定電話はまだ「出ない」。
ようやく繋がった携帯で分かったのは、
東海道線を横浜で降りたところで足止めされている。
今はダイヤモンド地下街近くに友達五人と一緒にいる、
ひょっとするとここに一晩居ることになるかもしれない・・・
電話をするほうも受ける方も、けっこう慌てているから、
そういった様子が分かるまでに、何度も聞き直す。

21時過ぎになってパシフィコ横浜に誘導されて避難している、
親切な若い人たちが、いろいろと助けてくれる、
と連絡が付く。
「パシフィコ横浜」もその若い人が電話を替わってくれて分かったこと。

市営地下鉄が動きそうで、そうしたら日吉まで行く、
いや、日吉で降りてそのあとどうするの?
そんなやりとりをしているうちに、
東横線復旧のテロップがテレビ画面に流れる。
義母の家は東横線の新丸子だが、
とにかく武蔵小杉まで行って後はタクシーで、、、
とんでもない、タクシーなんか乗れるわけがない!
いま安全な場所にいるならば明日の朝までパシフィコに居た方が良い、
いや、でも若い人が助けてくれるからなんとか小杉まで行く!

結局、こちら(中目黒)から家人が迎えに行くことに決定。
一瞬クルマも考えたが、これはリスクが大きすぎる。
電車の運行状況も駅周辺の混雑状況も分からないが、、、

無事会えた、と連絡があったのは何時頃だったろう?
たぶん日付が変わっていたと思う。
杖をつきながら歩く義母をサポートして、
1キロ半ほどの道をなんとか歩き通して帰れた、とのこと。
ひとまずホッとする。
還暦を過ぎて、徐々に加齢を実感はしているが、
それでもプラス30年となると、想像を超える。
ちょっとした状況の変化も、それに合わせての移動も
若い人とは比べものにならない負担だろう。

横浜駅の地下は普段でも人が多い、
足止めされた人々で、たぶんごった返していただろう。
そんななか、高齢者を親切にサポートしてくれた若い人たちに感謝である。
ありがとう。

地震の直後、
津波に巻き込まれる名取川近くを走るクルマの映像を
呆然と見守っていた。
これからいったいどんな悲劇が待っているのだろう?
被災された方々には、ただただお見舞い申し上げるしかない。


恵比寿にある会社の帰り道に顔を見せてくれたK君、ありがとう。
豪徳寺まで無事に歩けたかな?

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