『大坊珈琲店』の閉店。 [日々の記録]
青山通りに面した小さな四階建てのビル、
『大坊珈琲店』がその二階に店を開いたのは1975年。
この12月で閉まると知り、慌てて調べその年を知った。
夕暮れ時、背中に欅並木のイルミネーションの光を受けながら、
表参道の交差点、角の交番前の信号が青に変わるのを待つ。
道の反対側、古ぼけたビルの一階にあるはずの置き看板を目で探しながら。
年内で店じまいと聞いていたので、はたしてまだ間に合うか、
ちょっと心配したが、明かりを灯した看板を見つけほっとする。
この店に初めて足を運んだのはいつだったろう?
たぶん1980年ころ、いやもう少し後だったかもしれない、
いずれにしても三十年も昔のことだ。
階段を上りながら目に映るコンクリートの壁は、
何度もペンキが塗り重ねられ、当時すでに古ぼけた印象だったが、
それから長い時を経た今も、その表情は変わらない。
まるで、よれたコートをまとった中年男のような雰囲気。
狭い階段を上がって木の扉を押す。
そのときどきに抱えていた仕事やら、
熱中して読んでいた本の背表紙やら、
脳内を駆け巡るベートーヴェン、モーツァルトやら、
(実は店内ではいつもジャズが流れているのではあるが)
そんな諸々の、いったい幾つを抱えてこの扉を押したのだろう。
もちろん、それらの断片を忘れてしまったわけではない。
遠藤周作も丸谷才一も辻邦生も村上春樹も、
ベートーヴェンのソナタもマーラーもブラームスも、
それらが、その直前に青山通りを歩いていたときよりも先鋭さを増し、
より強く意識の中に居座る。
さほど広くはない「大坊」の空気が起こす化学反応だ。
でも、ネルドリップにお湯を注ぐマスターの手さばき、
立ちのぼるブレンドコーヒーの香り、
ずっと変わらぬメニュー、
そんなことやものが、それらの一切を跳び越えて体に染みこみはじめる。
そう、たった三秒で珈琲の罠に落ち込んでいくのだ。
その扉を押した瞬間から、
そこが目映く煌めくような青山の地であることも、
訪れたこの日、それが2013年の師走の17日であることも、
一瞬のうちにどこかへ飛んでいってしまう。
そんな珈琲店が昔はたくさんあった、というわけでもない。
もちろん今よりは、コーヒーの味わい深さを楽しめる店は多かったと思う。
それでも、一瞬にして珈琲の化学的触媒反応に誘う店はそう多くはないだろう。
客側から見て少し手前に下がったカウンターのわずかな傾き、
これはたぶん三十年前とほとんど変わらない。
小さな椅子に腰を下ろし、いつも頼むのはメニューの三番。
いま思うと、もっと他の珈琲も頂けば良かったとは思うが、
淹れてもらうのはいつもブレンドコーヒーの「三番」だった。
コク、香り、雑味の無さ、そして程良い温度、
これがブレンドコーヒー、日本のブレンドコーヒーなのだ、と思ってしまう。
結局この日も三番を頼んだ。
カップの珈琲があとわずかになったころ、
少し離れた席から老紳士が立ち上がり、
じゃ、またね!と店を出て行った。
濃紺のベースボールキャップ、そこから盛大にはみ出す長い髪、
そしてサンタクロースほどではないけれど、
それでも十分に派手な赤いアウタージャケット。
横顔を拝見して、指揮者のあの人と直ぐに分かった。
(100%の自信が無かったので、まったくミーハーではあるが
帰り際にお店の人に訊ねてみる。
“えぇ、○○○さんです。ときどきいらっしゃいます”、と聞き何故か安心)
こんな風に書くと、ずいぶんと通い詰めた印象を持たれそうだが、
実は、そんなに頻繁に訪れたわけではない。
多かったときでも、年に3~4回ぐらいと思う。
それもこの十年くらいは片手で数えられるくらいしか訪れていない。
そんな気まぐれ客だから、知らないうちに店をたたんでしまっても、
たぶん気付かなかっただろう。
SILENTさんのブログ記事を拝見するまで、知らなかったのだから。
今月の23日を最後に店は閉まる。
理由は古くなったビルの建て替えとのこと。
その一階は、すでに工事用のパネルで覆われ、
来年の10月完成予定のパースが掲げられている。
この界隈の雰囲気に合いそうな、
四階建てのその物件は「1テナント貸し」とあった。
一階から四階まで全部が「大坊」、そんなことにはなるまい。
それに、あの少しくたびれた珈琲色の佇まいは、
鉄とガラスが作りだす軽快なお洒落ビルには似合わない。
それにしてもファンの多い珈琲店だった。
あと何日と気付いて、慌てて訪れた私のような人も多いと思う。
狭い階段には席を待つそんな人の列ができていた、
なんの縁もないのに、なぜか仲間内のような気がする。
みんな好きだったんだ。
*
外で味わう食事や飲み物の写真は撮らない。
美味しさや風味は、舌で覚えそれを忘れなければよい、
と、これはなんだか偏屈なやせ我慢のようでもあるが、
今回は禁を破って一枚だけ撮らせて頂いた。
あの空気感が消えてゆくと思うと、自制の気持ちも雲散霧消。
大坊の皆さま、失礼の段お許しを。
大坊閉店の同じような記事を載せました。
僕は15日に行きました。
by cafelamama (2013-12-19 14:55)
消えていくものへの愛着が見事に詰まった名文に暫し目を閉じて名店の雰囲気を想像しました。
by よしあき・ギャラリー (2013-12-20 06:22)
そんな素敵なお店、やはりビルの建替えなんですね。
残念ですね。
by mimimomo (2013-12-20 09:08)
このお店、知っています。
わざわざ訪ねて行ってコーヒーを頂いたことがあります。
そうですか・・・12月でお店が無くなるのですね。
もっと早く知っていれば一昨日上京した折に尋ねることが出たのに・・・。
残念です。
by 青い鳥 (2013-12-20 14:54)
その喫茶店が無限に続くものではない、とわかっているつもりでも、閉店となると本当に愛着の身の回り品を失うような、寂しい心地がします。
三十年もコーヒー一筋に店を続けてきたマスター?に、ありがとうと言いたいですね・・・特に昨今のコーヒーチェーン全盛では・・・ ^^;
by 般若坊 (2013-12-20 15:32)
とても素敵なエッセイですね・・・。
e-g-gさんの深い思い入れが感じられます。
磨き上げられた年季の入ったテーブルも、良い感じですね!
by 東雲 (2013-12-20 20:37)
◎cafelamamaさん
私が書けなかった珈琲の味わい、
cafelamamaさんの記事で思い出しております。
ありがとうございました。
◎よしあき・ギャラリーさん
名文などと、とんでもないです。
あちらに一人、こちらに二人、
と比較的に空いているときの記憶が残っている店なのですが、
満席のこの日は店内の全体に「惜しいな空気」が満ちていました。
◎mimimomoさん
青山通りはどこかおっとりした街並みだったのですが、
きちっと隙無く建てられたビルが増えました。
時代の流れでしょうね~
◎青い鳥さん
わざわざ訪ねていっても味わいたくなる珈琲ですよね。
それも、もうお別れです。
いよいよ明日(23日)でお終い、残念ですね。
◎般若坊さん
“昨今のコーヒーチェーン”、私もときおり利用しますが、
何というのでしょう、潤いというか緩みのようなものが少ないですね。
シナリオにきっちりと書かれた舞台のような感じがします。
◎東雲さん
>素敵なエッセイ、、、
でもしかし、こういう文章は危険です。
つい自己満足の世界に嵌ってしまいますから。
ほんとうは年季の入ったテーブルと珈琲、
それだけをじっくりと味わえば良いのでしょう。
by e-g-g (2013-12-22 18:40)
落ち着いた居心地のいい、そして美味しいコーヒー
こういう喫茶店がなくなってしまうのは残念ですね。
>ネルドリップにお湯を注ぐマスターの手さばき
そのコーヒーの匂いが立ち上ってくるようです。
by タックン (2013-12-22 21:58)
◎タックンさん
チェーン展開の店が増えました。
手軽にコーヒーを頂けるのは良いですが、
大坊のようなお店も共存して欲しかったです。
今日(23日)で閉店ですが、
いまごろは、たぶん大勢のお客さんで賑わっていることでしょう。
by e-g-g (2013-12-23 19:07)