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向井潤吉展 [絵の周辺と展覧会]

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 向井潤吉の描く民家には、かつての日本の暮らしの有り
様が素直に描かれ、その筆致に自然な懐かしさを覚える。
 この感覚は、ある程度から上の年齢の人々にとっては、
いわば時代の共通言語のようなもの。それは、もうどんな
ことがあっても絶対に戻ってこないコトやモノへの哀惜。
 これらの風景・光景を、今の若い世代やこれから生まれ
てくる子供達は、どんな目で見るのだろう。昔話、おとぎ
話の世界として捉えるのだろうか?

 『向井潤吉展 わかちがたい風景とともに』が日本橋の
高島屋で開かれている。
 会場でも“ここ、東松山のわたしの実家の近くよ!そう、
こんな感じだったわね〜”そんな話声も聞こえる。これは
描かれた対象についての感想で、絵そのものの価値につい
てではない。でも、絵(に限らず)には、そういう働きも
あるし、向井潤吉自身も、そういうふうに見られることも
充分に承知していたのではないかと思う。


 旅の途次チラリと眺めて気になる所や、描き損った地方
 を再び訪れても、目的の家の前に立つまでは安心できな
 いのをよく経験する。異常な観光ブーム。ことに古都保
 存法が布かれると建築ができなくなるというので、京都
 の大原でも崖を削り、畑を崩して茶店が物欲しげに並ん
 で、洛北の古雅さが消えつつあり、奈良界隈でも白壁と
 うだつの取合せの美しい大和葺きも、探さなければ見え
 なくなったのである。そんな風潮の大きい原因は、古い
 民家に対する愛情が薄れたこととともに、文化について
 の無関心であることだろうと思う。

 *向井潤吉展図録「民家に美を求めて」より一部を転載。
  初出は1968年12月号の『中央公論』。

 この年の4年前には東京オリンピックが、二年後には大
阪万博が催される。(そのスローガンは「人類の進歩と調
和」だ。)
 ともかく、大きくて新しいことが何よりも善とされ、み
んながそれを信じた時代である。その裏付けとしての国民
所得もそれなりにのびた時代、そんな時代に、古い藁葺き
屋根の家に、なんの不満も感じずに住み続けることのほう
が、たぶん難しいだろう。

 かまどのある土間に真っ白な冷蔵庫はどう置けば良いの
か?テレビのアンテナは藁葺きでも立つのか?そんなこん
なに直面すれば、新建材の匂いに満ちた「新しい家」に建
て替えたくなるのは当然だろう。だから、古い民家を惜し
気もなく取り壊して新築の家を建てた人々を責めることは
出来ない。

 ただ、ここで向井が言うように「文化についての無関心」
に、日本人が、日本の社会が、もう少しでも気付いていれ
ば、そして何等かのエネルギーをそこに注いでいれば、今
とは違ったカタチで残ったモノやコトもあるのでは?と、
どうしても思うのである。
 観光地化された名所まで出かけなくとも、かつての暮ら
し方を実感できる場所が、もっと身近にもっと数多く残せ
たのではないか?そう思うのである。

 もちろん、昔のままがすべて良いわけでは無い。消えて
も仕方の無いものもあった。ただ、そこに潜んでいるかも
しれない「文化の痕跡」について、もう少し注意を向ける
必要があったのではないか。その問いかけは 1968年から
40 年以上も経った今も、ずっと変わっていない。それを
感じるから、みんな「民家」の絵を一生懸命に見つめるわ
けで、その意味で「民家の絵」はいつも新しい命題なのだ
と思う。

 展覧会は 20代半ばのパリ時代のルーブルでの模写など
から、従軍画家時代の作品、そして戦後間もなくに始まり
晩年まで続く民家シリーズ、それと30点あまりの素描。
向井潤吉の仕事を俯瞰できる構成になっている。
 ほぼ 20世紀の始まりから終わりまでを生きた向井潤吉
の生涯と作品は、新しいモノを生み出し多くのモノを失っ
た日本のこの100年間の姿とも重なるわけだ。


 代表作のようにあちらこちらで見る白馬村の『遅れる春
の丘より』(写真の図録の右頁の絵)は、何度見ても、そ
の明るい春の兆しが気持ち良い。
 つい、それがどんなに不便な暮らしでも、それでもこんな
所に住みたいと思ってしまう。

 今回初見の絵の中では、『春塘』が素晴らしい。描かれ
ているのは、蛇行して流れる川越しに見える民家と木立、
それと春の名残り雪。それらを覆う薄赤の夕空の色合いが
実に見事だ。
 ただそれ以上にこの光景が 1984年当時に川越市にあっ
たこと、その事実に驚く。この場所、今はどんな風景にな
っているのだろう?

 話は逸れるけれど、それらの作品の思いのほか鮮やかな
色彩が、図録に反映されていないのが惜しい。画集ではな
いからある程度は仕方ないとしても、色校正をきちっとや
れば、もう少し良くなったのではと思う。『春塘』の薄赤
色の空の温かみも、もっと良く出ただろうに、残念だ。


 世田谷の弦巻にある『向井潤吉アトリエ館』は、この一
年ほど耐震補強工事のため閉まっていた。一時は難しい工
事がいつまでかかるのか?といった話も聞かれたが、この
4月27日にオープンするという。
 昭和に建てられたアトリエの中で見る絵の良さは格別だ。
気の向いたときにふらっと立ち寄って見られるのが、ここ
の良さでもある。また自転車に乗って行こう。

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コメント 11

いろは

こんにちは^^
向井潤吉の絵には何か懐かしさを覚えます。
古き良き時代の温かさが感じられますね。
by いろは (2010-03-12 16:47) 

鋭理庵

渡辺京二の「逝きし世の面影」を思い出しました。今日、東京に出るので高島屋に寄ってみよう。
by 鋭理庵 (2010-03-13 02:33) 

masa

中学生位にジクソーパズルに嵌って
大きい向井潤吉さんのパズルを完成
もしかしたらまだ実家にあるかも^^;
向井さんの絵はホッとする心休まる風景で大好き。
アトリエ館は結構昔に見に行きましたよ。いい場所ですよね!

昔の家を守るのも大事、管理コスト大変だろう
家を視てくれる職人さんが居なくなってきているのも問題
だんだん職人が消えていくと思うと悲しくなりますね。
昔の家好きだなー。今の極寒、猛暑のこの家は試練です^^;
by masa (2010-03-13 04:15) 

よしあき・ギャラリー

向井潤吉さんは好きな画家です。
子どもの頃に感動した水彩画が、向井画伯の作と知ったのは随分後のことでした。
オープン後、世田谷の方に足を運んでみたいです。
by よしあき・ギャラリー (2010-03-13 06:08) 

こぎん

日本の原風景のような景色を見て、若い世代の子が、なんだか懐かしい感じがする。
そんな感想を聞いて、ある種、DNAにすり込まれているのかな?と思ったことがありました。
ヨーロッパの石の文化だと何百年も変わらずに同じ景色が、
世代を超えて共有できるのに・・・木と紙では難しかったのかな? って残念に思うのです。
小学校でも唱歌を多くは歌わなくなったし・・・あの歌の中にも原風景・原体験・・・
想像力を養う美しい日本があるな~って思います。
「ふるさと」を聞くと、なぜか涙が出てしまいます。
by こぎん (2010-03-13 07:15) 

タックン

こぎんさんのコメントにつくづく共感です。
向井潤吉さんの絵に 日本の原風景を見るのでしょう。
外の風景にも解放されていた家々
時間が堆積されて黒光りして行く家族の時間
土間に足を踏み入れた時のひんやり感
不便でしたが エコな暮らしがあったような気がします。
こんな絵を見ると ついつい感傷的になってしまいます。
決して戻ることのない時代とわかっているのに^^
by タックン (2010-03-14 15:47) 

響

古い風景を残すことは住む人にとってはかなりの苦労があるでしょうね。
しかしこんな懐かしい風景をもう一度みたいとおもう方は多いと思います。
絵をみてるといろんな思い出がよみがえってきそうですね。

by (2010-03-15 19:56) 

いそしぎ

正直、こういう景色は写真や絵でしか知りません。
田舎ではなく、かといって都会でもなく・・・そんな町に住んでおりますが、それでも小さい時から見慣れた建物がなくなり、すばやく高層マンションなんかが建つと淋しい気もします。

古い景観を残すのは、とても大変だろうし、無理も出てくる(京都の東寺付近の建物の低さは逆に不自然に思え、逆に京都駅ビルは京都の学生に馴染んでいる気さえします)のですが、懐かしむ気持ちは残って欲しい(自分自身にも)なと思います。
by いそしぎ (2010-03-15 21:50) 

e-g-g

◎いろはさん
今回は「民家」以前の絵を始めて見ました。
そのなかで従軍画家時代の絵は、
正直ちょっと驚きましたが、
その時代があったからこそ「民家の絵」が生まれた、
そんな感想も持ちました。
ともかくひとの血の通った絵ばかりでした。

◎鋭理庵さん
「逝きし世の面影」はまったく知りませんでした。
こんど探してみましょう。

◎masaさん
そういえば会場(高島屋)でもジグソーパズル、
あったような、、、

古い家が無くなるというのは、
社会のカタチそのものの変化なんですよね。

◎よしあき・ギャラリーさん
実は、向井潤吉の絵を知ったのは、
ほんの数年前のことです。
私も子どもの頃に感じる目があれば、、、
もう遅いですけどね。
今回は30点ほどの水彩の素描も展示されていました。

◎こぎんさん
日本の木の文化とヨーロッパの石の文化の比較は、
実に興味深いテーマですね。

このことを考えるとき、私は「ヨーロッパの石」が
実は特殊なのでは?とも考えるのです。
森林に覆われていたヨーロッパで敢えて石造りを選んだこと、
たぶんそこにヨーロッパ(といっても多様ですが)を
成り立たせているひとつのキーがあると思います。

日本に限らず、モンゴルのパオ、東南アジアの高床式住居、
イヌイットの住居、そしてアフリカまで含めて良いと思うのですが、
およそヨーロッパ以外の地域では、
うつろいやすい住居のほうが主流ではないでしょうか?
そこに、いわゆる西欧文明のチカラが強く働いて、
今のような状況になっているのでしょう。
「民家」はその流れを意識化させてくれる、
リトマス試験紙のような存在かもしれません。

◎タックンさん
向井潤吉の絵を見れば、
大半の人は懐かしさを感じるでしょうね。
ただ、その先に問題(ちょっと大袈裟ですが)を見つけて、
そこに注意を向けられるかどうか?
そのきっかけに気付かせてくれる絵でもあると思います。

◎響さん
時代は決して戻りませんね、
いま立ち並んでいる新建材の家も
何十年か後に「懐かしさ」を醸し出すのでしょうか?
たぶん「懐かしく」なる前にスクラップ化されるんでしょうね。
日本人の終の住処ってなんなんでしょうね~

◎いそしぎさん
向井潤吉の描く民家の光景は、
私が小学生の頃、昭和30年代には、
横浜の郊外でもごく普通に見られました。
(もちろん都市化の波はすぐそこまで来ていましたけれど)
たぶんそれは、江戸、明治からずっと続いてきた光景と
そう大きくは変わらなかったでしょう。
いま、そのころの面影は、まったくありません。
この、日本中どこでも見られる変化について、
ことの善し悪しはともかく、
そこで失ったもの、得たもの、
ときどきは立ち止まって考えてみたいものです。

by e-g-g (2010-03-16 12:53) 

harry

こちらに越してきてほっとするのは、こういう風景に普段に出会えること
も理由の一つだと感じています。
替える必要のないものを無理に替えずにそのままの風景として残しておく
っていうのも大事なことだと思うんですが。
実家の町田周辺も、ちょっと駅から離れるとまだこういう民家が残った
谷戸が残っていたりして、好きな風景です。
平らじゃない土地が幸いしているのかもしれないですね。
by harry (2010-03-18 08:01) 

e-g-g

◎harryさん
そちらは、とにかく土がいっぱいありますからね~
良いですね!

昔、夏冬を問わず何度も奥蓼科に行きましたが、
その途中の県道17号や191号などの麓の農村風景など、
遊びに行った先よりも良く覚えているほどです。

町田の端、ちょっと行けば横浜市という地に、
25年ほど住んでいました。
谷戸の付く地名、それから地勢そのものも、
少し注意すると「かつて」が想像できる場所が
たくさんありますね。
去年の暮れに久しぶりに寺家のふるさと村を訪ねました。
ほんとうは、きれいに管理されたこういった場所では無く、
素のままに触れたいのですが、
ま、残されているだけでも貴重ですね。

ともかく、ぶつぶつと文句ばかり言わずに、
「平じゃない土地」を探しに行きましょう、、、

by e-g-g (2010-03-19 16:59) 

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