年の暮れに、『年暮る』を見る。 [絵の周辺と展覧会]
『京都はいま描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいてください。はじめてそれを東山さんに言ったころ、私は歩きながら、山が見えない 山が見えない と我にもなく悲しんでいたものだ。みにくい安洋館が次々と建ちはじめて、町通りから山が見えなくなったのである。・・・』
川端康成が東山魁夷に送った手紙を、後に川端自身が述懐した文章である。この川端の想いに応えて東山は『京洛四季』を描いた。そのうちの『年暮る』と『春静』、それと『緑潤おう』、『秋彩』、この4点が「没後十年記念・東山魁夷と昭和の日本画展」の「第四章:魁夷が描く京の四季」として展示されている。関東平野だけが晴れマークの日曜日、その絵に会いに広尾の山種美術館へ向かった。
若い頃、東山魁夷とその時代の日本画にはほとんど関心が湧かなかった。いや日本画も古来からの日本美術そのものにも。
バウハウスデザインとアメリカ式マーケティング至上主義の広告作法にどっぷりと浸かっていた1970年代には、ただただ古臭く定型に嵌った表現としか目に映らなかった。見逃していた「日本」は大きく深い。
パターン化され、デザイン的(変な表現だ)ともいえる造形処理のマンネリズム。そんな日本画への偏った見方が、ある日、変わった。これは東山の絵に限らない。他の日本画のいわゆる名作も、それまでの薄煙りを通して見るような感覚がスーッと晴れて、おしなべて新鮮に目に映るようになった。
年齢のせいもあるかもしれない、いやそれこそが最大の理由と思うが、ある日唐突に東山魁夷の絵が目に飛び込んできた。そこに描かれる日本が、ほんとうに心に染みてくるようになった。60年をかけてやっと分るようになった、ということだろうか。ずいぶんと遠回りをしたものだ。
『年暮る』に描かれた京の町家の窓に映る薄明かりは、実物ではほんとうに淡くほんのりと描かれている。目を凝らさないと分らないほどだ。印刷物で知っていた「灯り」とは、ずいぶんと趣が違う。もちろん実物のニュアンスに印刷は適わない。
絵から音楽が聴こえる。京の町家のリズミカルに並ぶ屋根、それと絵全体をおおう息を潜めた静けさ、それらが音楽的な感興を誘うのか、自然とバッハの無伴奏チェロ組曲が耳の奥に鳴った。
こんな絵を、個人で所蔵して日々それを眺めて暮らせたらどんなに幸せだろう、などと、夢のような思いが頭をよぎる。
いや、こんな絵を一生に一枚で良いから描けるチャンスと絵の才、その何万分の一かの幸せを神様は恵んでくれないものだろうか、、、
日曜の午後、鑑賞する人も多かった。でも、その鬱陶しさを忘れて、この「年暮る」を眺めていた。(この絵の前から長いこと動かない「私」こそ鬱陶しさの元凶でもあるのだけれど、、、)
*
たとえば東京近郊のJRや私鉄の、どこの駅で降りてもさほどは変わらない駅前の光景。経済や暮らしに役立つなら、合理性・効率性は何にもまして優先されるべきもの。もう、50年も60年も、いや文明開化の頃から日本がずっと追いかけてきた「理想」。
その結果の、情緒の欠如と破壊。
「京都」を、他のどの場所に置きかえてもよいだろう。古い街並でも、のどかな里山でも。
今からでは遅いかもしれないが、、、
歳と共に、絵の好みも変わりますね。
私も、以前は、洋画ばかりで、日本画には見向きもしなかったものですが、最近では、日本画の前に立つと、ホッとするようになりました。
by よしあき・ギャラリー (2009-12-21 12:00)
◎よしあき・ギャラリーさん
絵も音楽も、若い頃にもちろん目や耳を通っているはずですが、
見えない聴こえないものも多いですね。
あるきっかけで、目の前がスッと開けるような感覚、
これは歳を重ねてからの楽しみですね。
by e-g-g (2009-12-21 18:44)
◎私が三人目さん
◎xml_xslさん
◎Krauseさん
◎愚理庵さん
お立ち寄り、ありがとうございます。
by e-g-g (2009-12-21 18:45)
nice!有り難う御座いました。
この絵は山種美術館ではなく何かの展覧会で見ました。
東山魁夷の分厚い大きな画集を持っていますが、やはり実物を目の当たりにするとその青と白の世界に引き込まれます。
昔から好きな画家です。
by ponnta1351 (2009-12-21 19:58)
こんばんは^^
実物はやはり印刷とは違うでしょうね。
東山魁亥の絵といえば千葉県立美術館でわずかばかり観られますよね、確か。
以前何度か見たことがあります。 うちの夫も、音楽も絵もどちらかと言うと西洋好みです^^
でもわたくしは日本画は好きです。音楽もね(--;
by mimimomo (2009-12-21 20:02)
連なる屋根の奥行きを出すための縦位置なんだろうか、とか
自分なら一番上に見える妻を棟まで入れたくなるだろうな、とか。
色や筆のタッチもですが、どこでどう切り取るかによって印象は
全然違ってくるんでしょうね。
私は写真を撮るとき、どうも説明的なのが多くて、
後で恥ずかしくなります。
これでもノートリミングを心がけているんですけどね(笑)
by YASH (2009-12-21 21:41)
>京都はいま描いといていただかないとなくなります。
これを読んでドキッとしました。川端康成が書い手紙なのですね。
今の京都は新旧をうまく融合している部分もありますが、
>情緒の欠如と破壊。。。どんどんすすんでいるように思えます^_^;
by ミモザ (2009-12-21 21:42)
バウハウスも権力だったと気づいた時
抽象も含めて日本に向かい合った時かもしれません
響くものが変わってきたのかもしれません
by pace (2009-12-21 21:46)
長野に越してきてから、いろいろなことに対する感じ方が
自分の中で変わってきたような気がすることがあります。
絵や音楽と同じように、日々の暮らしの中の幸せを感じることについても
ふと視界が広がったかのような気分を感じたりして。
風景や気候が人に与える影響って、大きいんですね、きっと。
by harry (2009-12-21 23:29)
そういえば・・・平山郁夫氏も逝ってしまいました。
年と共に好みが変わるのって、何でなんでしょうね? 不思議です。
紙と木という燃えやすい建築文化だったことで、欧米化しちゃったのかもしれませんが、
どこへ行っても同じような景色や店があるとつまらないし、古い建物の街並みは商業化しないと残せなかったり・・・
この先、どこまで残せるかな? って思います。
日本画の顔料の発色、素材感もいいですね。
静かに沁みてきます。
by こぎん (2009-12-22 08:39)
◎ponnta1351さん
コメント、ありがとうございます。
『年暮る』、今回はじめて原画を見ました。
東山魁夷の青は色彩の巾が広いですね、
とくにちょっと間違えると下品になりかねない彩度の高い青の使い方など、唸るばかりです。
◎mimimomoさん
東山魁夷については、ほんとうに何も知らないのです。
戦後、市川に住んでいたこともつい最近知りました。
千葉県立美術館もいずれ訪れてみたいですね。
◎YASHさん
ゴメンナサイ!です。
この絵、ほんとうは横位置で左右がもっとあります。
小さなパンフレットの表紙にトリミングされていたのを、
そのまま使ったため、こんな縦位置になってしまいました。
写真のフレーミング、奥の深い話しですが、
これに迷うときはあまり良い写真にはならない、
なんとなくそんな感じもします。
◎ミモザさん
川端康成の「京都はいま、、、」は、
つい最近にテレビの番組で初めて知りました。
番組の中で『年暮る』で描かれた場所が
紹介されていましたが、まったく様変わり、、、
かろうじて奥のお寺だけが雰囲気を残しているんですね。
景観や環境について熱意も関心も高いはずの京都ですらこの変化。
変化の必然も、もちろんありますが、
もう少し巾の広い視点も必要かな、と思います。
◎paceさん
コメント、ありがとうございます。
それまでの徒弟制度的な世界に
システマチックな教育制度を持ち込んだことなど、
バウハウス運動の意味はやはり大きいですね。
よくも悪くも。
バウハウスの啓蒙的な色合いが濃かった時代に
たまたま遭遇した私など、
その呪縛もやはり大きなものでしたね、、、
◎harryさん
東京の真ん中に暮らしていて、いちばん感じるのが、
その土地との一体感の無さなんです。
風景や気候、そういったものに同化する感覚が持てない、
これは不幸なことだ!と、毎日思案です。
◎こぎんさん
ノスタルジーだけでは、古きものは残りませんよね。
無理に残そうとすれば、
演出過剰の映画のセットのような街並になるだけ。
身の回りのすべてが「はりぼて」化されて、
もう長いこと、そのヴァーチャルな世界に
暮らしているような感じです。
もう少しはピュアなものを見たい、触れたい、
そういう欲求が強くなってくるのでしょうね。
by e-g-g (2009-12-22 18:33)
◎frutistさん
◎甘党大王さん
◎匁さん
◎IZUMIさん
◎cheeさん
◎kakasisannpoさん
◎watamiさん
◎旅爺さん さん
◎みゅー★さん
◎今造ROWINGTEAMさん
niceを、ありがとうございます。
by e-g-g (2009-12-22 18:34)
こんばんは^^
絵画の事は詳しくないのですが、私は若い頃から日本の美に憧れていたように思います。
ですから、絵は勿論日本画が好きです。
川合玉堂や速水御舟、小林古径などに惹かれます。
東山魁夷は特に好きで、何度も展覧会に出かけました。
山種美術館は新しくなったそうですね。
暫く訪れていませんが・・・(-_-;)
by いろは (2009-12-22 18:39)
どんどん変わって行く古都。
なんだか僕が探している廃墟に通じるのもがあります。
by 響 (2009-12-22 20:36)
人々が暮らす屋根の上に雪が降り積み・・・
蕪村の「夜色楼台図」が重なりました。
私も歳とともに 日本画に惹かれるようになりました。
屋根の下に暮らす人たちが みんな幸せならいいのですが・・・。
by タックン (2009-12-22 22:13)
『年暮る』・・・美しい・・・私もぜひ山種美術館で原画を観たいです(^^)
川端康成と東山魁夷が親しかったこと、私もNHKの番組を見るまで知りませんでした。そういえば、小説「古都」と東山魁夷の北山杉の絵も同じような温度を感じます。
by JF (2009-12-25 00:14)
MerryXmas!!
素晴らしい一日でありますように・・・。
by 井上酒店 (2009-12-25 10:05)
こんにちは。
山種美術館が移転する前の、
「桜さくらサクラ」を観に行きたかったのですが、
結局は叶わずに終わってしまいました。
「年暮る」・・・、私も実物を観てみたいと思いました。
by 東雲 (2009-12-25 17:08)
◎いろはさん
これまで「洋のカタチ」ばかりに目が向きすぎていました。
川合玉堂も速水御舟も、そして東山魁夷も、
これからは、もう少しきちんと見てみようと思います。
山種美術館は、この10月から広尾に移りました。
◎響さん
古いものを残すのも、いろいろと大変でしょう。
いっそのことまったく新しくした方が手早いし、使いやすいし、、、
そんな感じでどんどん消えていくのですよね、
廃虚でも残れば良い方かもしれません。
◎タックンさん
夜色桜台図、あれは凄い絵ですね。
光景は静かなのに震えるような迫力、
あれほど目に迫ってくる絵も珍しいと思います。
東山魁夷も『年暮る』を描きながら、この絵のことは、
きっと頭から離れなかったのでは?と想像します。
◎JFさん
小さめで少し暗い展示室に『年暮る』は静かにありました。
この絵を見るには良い環境と思います。
ただし、観客が多くなければ、、、
空いている時間にじっくり見たいですね、
でも、人気がありますからね~
私が行った日も、それなりに混んでいました。
テレビは28日に再放送があるようです。
前回は途中からだったので、こんどはしっかり見ます。
◎井上酒店さん
ご無沙汰してま~す
そういえば今日は25日、、、ですね。
良い一日をお過ごしください。
◎東雲さん
実は以前に山種美術館が入っていたビルの上階に
仕事の関係で良く行っていたのです。
「桜さくらサクラ」も、その混雑を横目に、
こんど空いているときに、と思っているうちに
逃してしまいました。
絵を見るのも気合いが必要ですね。
「年暮る」、静かで暖かで良かったですよ。
by e-g-g (2009-12-25 20:54)
◎miopapaさん
◎harryさん
◎タックンさん
◎いそしぎさん
◎saruさん
◎くらいふさん
◎YASHさん
◎へー八郎さん
◎JFさん
◎月夜さん
niceを、ありがとうございます。
by e-g-g (2009-12-25 20:55)
日本画も好きです。描いてみたいとも思います。
いつか、私も、丁寧に筆を洗えるくらいの心の余裕ができた頃に。
by 春分 (2009-12-26 12:24)
いま描いといていただかないとなくなります。
現代は、まさにその環境ですね。
年を重ねないと良さが分からないってこと、たくさんありますよね。
昔は大嫌いだった植物が、今は何冊も図鑑をそばに置きたくなるくらい好きです。
この知識欲がもっと若いころにあったらなぁ。
何年、年を無駄にしてきちゃったのか。
by mamire (2009-12-30 13:27)
◎春分さん
私も日本画は挑戦してみたいですね、
覚えることがたくさんありそうですが、、、
◎mamireさん
いやその年齢の積み重ねがあったからこそ
辿り着ける世界もあるのですよ!
そう思って、納得させています、ワタシの場合。
(ちょっと残念だったなぁ、と感じることしばしばですが)
by e-g-g (2009-12-30 18:21)
◎アマデウスさん
◎侘び助さん
◎KAZUYAさん
◎oiraさん
niceを、ありがとうございます。
by e-g-g (2009-12-30 18:22)
先日、古いバーナードリーチのビデオを見る機会がありました。
川端康成さんもリーチのファンだったようです。
活躍した時代は同じ世代だったんですね。
ビデオの中でリーチは
>日本がずっと追いかけてきた「理想」。
その結果の、情緒の欠如と破壊。
これは絶対行けない事だ。。
日本の素朴で美しい風景は残さないといけない。。と語っていました。
今になって見直されている事ですが
外国人だからこそかもしれませんが
何十年も前に今の日本を予想できたリーチって人の目線が
文学、芸術で第一線で活躍していた人からも
一目おかれていた人物だったんだ。。と感じました。
今からでも残せるものは残してほしいですね
せめて絵や写真でも後世に伝えていくべきものですね。
by masa (2010-01-03 01:14)
◎masaさん
リーチには(当時の)先進国の持っていた素養や価値観が
基本にあったでしょう。
その素養があってこそ見えたものもあったでしょうね。
もちろん、その眼に感応した日本人がいたことも大切。
気付いてみると、日本人もいろんな素養や価値観を
身につけてきました。
それらはときに鬱陶しくも煩わしくも、あるわけですが、
それでも、出来うる限り素直な眼で世界を眺めたいもの、
と、ちょっと大真面目になって考えてしまいました。
(そんなこという前に、足元を見よ!ですね)
by e-g-g (2010-01-06 19:17)