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東京オリンピックへの道-2 [あの時代の話し]

 なぜ、私が1964年の10月8日に、その日の花の区間である「中村橋〜伊勢佐木町」を聖火を持って走ることになったのか?
 それはもちろん、ワタシの高度な政治力のおかげである!というのは冗談で、いくつかの偶然の積み重ねの結果である。

 2月に「東京オリンピックへの道」を載せてから、もう半年近く経ってしまった。今回は「その2」。「東京オリンピックへの道」でも書いたように、ランナーの選考そのものは難なくクリアした。このくらいのことで、本当に聖火ランナーのメンバーになるの?と、ちょっと拍子抜けもしたけれど。

 ただ、やはり世の中そうは甘くはないもので、オリンピック騒ぎが無ければ遊び呆けていられる高校一年の夏休み、その楽しい季節にそれなりの練習が待っていた。
 とにかく、真夏の炎天下、焼け付くようなアスファルトの上をずいぶんと走ったものだ。きれいに整った隊列を組み、そのうえ前をしっかり見ながらフラフラしない走り方、そのトレーニングである。
 ある程度のスピードでサーッと流すときは、体勢もそれなりに決まる。が、聖火リレーのスピードは、ジョギングレベルである。その速度で、それなりの姿勢を保つのは意外と難しい。ランニングでもジョギングでも、経験のある人にはこの難しさが分かると思う。
 それと、なにより聖火が重い!いったい何キロくらいあったのだろう?何年か前に世田谷の駒沢競技場に展示されている当時の聖火を見たが、重さまでは覚えていない。とにかく、この重いトーチ、きちんと掲げるだけでもけっこう疲れるのである。ただ、本番近くになって実際に点火したのを持ったら、吹き出す煙と風向きによっては顔を目がけてけっこう火の粉が飛んでくる。右腕を伸ばして高く掲げるという正規の姿勢じゃないとタイヘンなのである。

 この、ちょっとうんざりするような練習の最初に配属?されたのは横浜市金沢区の西柴中学校前というところだった。京浜急行の富岡と金沢文庫の間の国道16号線に沿った、約1.2キロ区間。ちょうど横浜横須賀道路の能見台IC付近だった思う。もちろん、当時はそんなものは影も形もないけれど。

 ここが君達の走る区間だよと言われて、初めてその地に行ったときは、正直がっかりした。国道は走っているけれど、まわりは畑と水田とこんもりとした林、そしてところどころに見える人家。まるでNHKアーカイブスで放映される40年前の新日本紀行に出てくるような、そんな典型的な日本の田園風景なのだ。その真ん中には当然のように寅さん映画に出てくるようなバス停がある。そこが区間のスタート地点だった。

 どうせ走るなら、もう少し賑やかで人も多いところが良いなぁ、これが正直な実感である。どういう縁で組み合わされたのかは分からないけれど、とにかくひとつのチームになった他の高校生達と、ブツブツと文句を言っていた。
 でも、こんな風景は44年前の日本では、ごくごく当たり前のものである。私のいるチームが、とくに辺鄙なところを割り当てられたわけではない。ひとつ前の区間の方が、もっと自然豊かなエリアだったりするわけだから。
 *このあたり、八景島シーパラダイスもほど近く、また相当に宅地化もされているようで、寂しいといった印象など、いまはもちろん無いと思う。

 どんな基準と縁でその区間のメンバーが決まったのか、まったく知らない。きっと地域のバランスなどを考慮した結果だろうと思う。ともかく、17人、いや21人だったか?ともかくそのくらいの人数の高校生がしたことは、まず整列。ここで人数の奇数についてちょっと解説。聖火ランナーは一人である、その直ぐ後に予備のトーチを持ったランナーが二人続く。そして、その後に伴走者と呼ばれる一団が14人だったか、あるいは16人。総勢としては奇数になるのである。
 その、たまたま同じ区間を割り当てられた「仲間」のなかで、私がいちばんのノッポだったのである。このとき高校一年生の私の身長は、たしか175cmくらいだった。いまではごく当たり前の高さだけど、当時はまぁ高い方だった。それでも、私よりも背の高いのはクラスに何人かはいるわけで、この「聖火ランナーチーム」にも、私よりノッポがいても不思議ではない。が、ここではなぜか私がいちばんだった。
 聖火をもって走る役が回ってきたのは、それだけのことである。きわめて単純なことだった。

 走る区間が寂しい田んぼ地帯から、華の伊勢佐木町に変わった理由も、まったく分からない。これは、いまもって不明のままである。私が「配属」されたチームに、地元の有力者の倅でも紛れ込んでいたのだろうか?「ワシの倅にはぜひ賑やかなところを走らせてやってくれ」とかなんとか。ともかく、そんなことくらいしか思い浮かばないほど、それは唐突な区間変更だった。もしも、これが理由だとしても、その倅君は私より背は低かった、ということになる。これだけは変えられない。

 オリンピックも聖火リレーも大人が喜ぶだけだよ、などとうそぶいていた高校一年生も、杓子定規な練習を重ね、どんどん高まる世の中のオリンピック熱には、やはり否応なしに影響される。
 それに、やっぱり「先頭」は気持ちの良いもの。実力ではなく背の高さだけで回ってきた役回りだけど、ま、それも人生!どうせ走るなら格好良く!なんて考えるのが、ごく真っ当な高校一年生というものだ。
 そんな感じだから、この田舎道から目抜き通りへの突然の配置転換は、それなりに嬉しかった。やっぱり、どうせ走るのなら大勢さんがいた方が、それは嬉しい。

 でも、そのときの視覚的な記憶はあまり無い。もちろん、大勢の人たちが振る日の丸や五輪の小旗や、前を走る二台の白バイの後ろ姿、そういったものは良く覚えているけれど。
 まぁ、夢見心地といってしまえばそうかもしれない。ともかく、もう44年も前のことだし。


 一回目にも書いたけれど、この時代の聖火リレーは儀式的な要素がまだ色濃くあった。この一大イベントで、いわゆる日本人の真面目さと勤勉と実直さをきちっと出すことも大事な時代だったのだと思う。これは、きっと時代の要請でもあっただろう。

 聖火リレーが、儀式的なものからエンタテインメント的な様相に変わるのは、コマーシャリズムが五輪を動かす最大の要因になってからと思う。ロサンゼルス五輪あたりからだろうか。
 その背景が経済的な理由であるにせよ(また政治的な配慮がそこに影を落としても)より親しみの持てるリレーになれば良いと思う。が、著名人やタレントだけでなく、ごくごく平凡な高校生でも参加できる、そんな聖火リレーの良さもあったと思う。まぁ「国民的行事」という感覚は好きになれないけれど。
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甘党大王

本当の歴史を感じますね~(●^o^●)
私は・・・ハイハイしたての赤ちゃんだったかな~(^^ゞ
by 甘党大王 (2008-07-08 17:21) 

anan

非常に状況が良く分かります。わかることがいいのか?それはまた別です。

昨年まで、東京オリンピックは中学3年の時と思っていました。友人との話のなかで、どうしても数が会わず、自分の勘違いを知りました。みんなにもずっと「中学3年のオリンピックの時」と言っていたので、長いこと年をサバ読んでたことになります。
by anan (2008-07-08 21:34) 

こぎん

すごく、前のことなのに・・・e-g-gさん、よく憶えていますね。
あの頃、子どもながら、日本は希望に満ちていたように思います。

by こぎん (2008-07-09 07:49) 

e-g-g

◎甘党大王さん
そうですね〜
40年以上も昔の話ですから、やっぱり歴史ですね。
でも、そのころハイハイしていらしたということは、
同じ時代の空気を吸っていた、
と、こういうことになりますね、、、

◎ananさん
年齢のサバを読んではイケマセン、
でもたったの一年、長い人生では、、、
ワタシが中学三年の時は
「高校三年生」が流行って、
11月にはケネディが狙撃された年ですね。

◎こぎんさん
いや、ほとんど忘れてるんです。
ブログで書き始めてから、
そういえば、あんなこと、そんなこと、
と、徐々にメモリーが復活したようです。
ま、昔のことは良く覚えていて、
つい昨日のことを忘れる、
何かの始まりでしょうか。

by e-g-g (2008-07-12 01:10) 

e-g-g

◎カフェオランジュさん

◎一真さん

◎xml_xslさん

◎HEIJIさん

◎masaさん

◎デザイン屋さん

◎sanjinsaiさん

niceを、ありがとうございます。

by e-g-g (2008-07-12 01:11) 

e-g-g

◎Nicoli♪さん

nice、ありがとうございます。

by e-g-g (2008-07-14 16:22) 

e-g-g

◎masugiさん
nice、ありがとうございます。
by e-g-g (2008-07-16 11:48) 

daland

こんばんは。
e-g-g さんにとって東京オリンピックって特別の思いがあるんですね。
私は、学校の全部の教室にテレビが入ったこと。
訳も分からず国立競技場につれていかれて、予選を一日かけて見させられた記憶があります。
期間中はほとんどテレビを見ていたような。
でも国家的な大事業だったんですね。いい思い出です。
by daland (2008-07-21 18:39) 

e-g-g

◎dalandさん
いやいや、東京オリンピックにはさほどの思いはありません。
それでも、40年も経ってみると、
いろんな意味で象徴的な出来事だったのかな、と思います。
暮らし方も街の様相も変わりましたけれど、
いちばん変わったのは、人の心でしょうね~

なんて書くのは、やっぱり「特別の思い」があるのかな、、、
by e-g-g (2008-07-23 08:11) 

ぽちこ

初めまして。
突然ですが、私の父も高校1年生の時に東京オリンピックの聖火ランナーだったそうなので、当時はe-g-gさんのようだったのかも…と読ませていただきました。
普段は何も話してくれない頑固な父ですが、今度聞いてみようかなと思います。
いろいろ検索していて偶然通りかかったのですが、ちょっと気になってコメント残しちゃいました。
失礼しました~
by ぽちこ (2008-08-17 02:44) 

e-g-g

◎ぽちこさん
はじめまして、またわざわざのコメントをありがとうございます。
そうですか、父上様もランナーでしたか?
もう記憶のかなたの出来事ですけど、
それでも、このイベントに参加した
当時の高校生や若人は日本中にたくさんいるのでしょうね。

走ったこと、またその時代の様子、、、
少しずつ聞かれると、きっとお父様の記憶の扉も
どんどん開いていくと思いますよ。
by e-g-g (2008-08-21 16:28) 

mimimomo

e-g-gさんはわたくしよりどうやら一年お若いですね^^
by mimimomo (2013-09-10 09:47) 

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