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東京オリンピックへの道-3(これで完結) [あの時代の話し]

 1964年の10月8日は、その二日後の10日ほどではないけれど晴れていた。国道16号線沿いの中村橋で前の走者から聖火を引き継いだのは、たぶん夕方の4時頃だったと思う。
 引き継ぎはリハーサルどおりに何の問題もなく済んだ。聖火のトーチから出る煙にむせそうにもなったけれど、ともかく先導の白バイとの距離を一定に保ちながら、約1.2キロの道を伊勢佐木町へ向かって走った。沿道は、かなりの人出だったと思う。

*中村橋:横浜市中区睦町にある「堀割川」にかかる橋

  伊勢佐木町の引き継ぎ地点は松坂屋デパート前。近々に閉店するらしいけれど、あの「ゆず」が路上ライブをしていたところである。40年と少し前の時代、横浜の繁華街といえば伊勢佐木町、その中心のようなところが、この松坂屋デパート前だった。いまならさしずめ「みなとみらい」のランドマークあたりか、、、。ともかく、そこで聖火のトーチをかざして次の走者に引き継ぐ、これで私の役目はおしまい。

*実は私は、このデパートを「松屋デパート」と思いこんでいた。ところが地図で調べてみると、聖火の引き継ぎ場所は「松坂屋」である。ずっとずっと思い違いをしていたらしい。

 この日は、私が走ったコースの次の「伊勢佐木町から神奈川県庁まで」が最終区間だった。ということは、その区間がこの日のハイライトである。が、当時は伊勢佐木町から先の、関内から港に向かうエリアは寂しいところだった。かろうじて賑わいがあったのは馬車道あたりまで、もちろん県庁や主だった官庁もある、海寄りには山下公園もある。それでも商業地区とはいえず、夕方になれば人影も途絶えがちになるエリアだった。

 ここで当時の横浜の繁華街状況を少しおさらい。まず横浜駅周辺。石炭がら置き場が見えたり、とにかくぶっきらぼうなエリアだった横浜駅西口も、ようやく整備が済んで次第に活気を帯びてきた。あの湿地のようなところに、良く地下街を作れたものと感心するほどの変貌だった。が、東口にはスカイビルという名の、なんとも中途半端な商業ビルがポツンと建ったばかり(いや、このオリンピックの年に完成していたかな?)。いまの「そごう」あたりである。この東口は、そもそも地盤が低く海面すれすれの場所である。台風や大雨の時などはすぐに水浸しになる一帯で、今のような開発がされるなんて、とても想像できなかった。
 関内エリアから港にかけては上に書いたとおりで「みなとみらい」など「み」の字も無い。なにしろ「みなとみらい」の工事が始まったのが1980年代になってからである。それまでは、造船所と国鉄の貨物線と操車場くらいしか無かったところ。とうぜん一般人にはほぼ関係のないエリアだった。鉄道ファンはすこしは馴染みのある場所だったかもしれないけれど。

 こんな具合で、ともかく当時の伊勢佐木町は横浜の繁華街の中心だったのである。もっとも、最近は横浜駅方面と「みなとみらい」に客足をとられて、勢いもだいぶ落ちているようである。

 さて、聖火リレー。
 テレビのニュースでは、確かに県庁に到着した聖火の映像が流れていたようだが、翌日の新聞には松坂屋デパート前の引き継ぎの模様が載っていたらしい。「らしい」と書いたのは、私自身はとにかく面倒くさいことから解放されてやれやれという気分、新聞の記事など見る気も起きなかったのだ。
 さらには、父親がその頃の最先端の8ミリカメラ(たしかキャノネットの8ミリだったと思う)で私の姿を写そうとしたところ、慣れない機械のため見事に撮影に失敗。「おさえ」の写真も撮れずで、私自身の勇姿?は実はフィルムには残っていない。だから一度も見ていない。
 しばらく経ってから父母が“神奈川新聞には写真があるらしい。それをなんとか手に入れよう”と話していたけれど、私自身は興味も関心も湧かなかったので、これはうやむやのまま時が過ぎた。

 まぁ、そんなこともあったけれど、私の聖火リレーは終わった。引き継ぎの後、松坂屋と道を挟んで反対側にある不二家の二階で着替えて、軽食をいただいた。美味しいサンドウィッチだった(なんで、そんなこと覚えているのか?きっと腹ぺこだったのだろう)。着ていたユニフォームやシューズも、そのまま貰って良いということで、持ち帰ったと思う。

 二日後、テレビに映る東京オリンピックの開会式。最終ランナーの坂井義則君が点火する聖火を見ながら、あぁ、あれって一昨日オレも持って走ったんだよな、と、いちおうは感慨のようなものが湧いてきた。

東京オリンピックへの道
http://egg2006.blog.so-net.ne.jp/2008-02-16#more
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コメント 7

HEIJI

やっぱり自分は見に行ったようです。2才だから覚えてないですけど。どのあたりの区間を見たんだろう。
ユニフォームやシューズは保管してあるんでしょうか?
写真、残念ですね。もう少し後だったらポケットカメラとかあったんでしょうけど。
by HEIJI (2008-07-09 20:27) 

masa

父が地方の友人を横浜観光に連れ出すときは
必ず伊勢佐木町を連れていってました。
伊勢佐木町ブルース歌いながら(笑)
そこを走ってしまったのですね〜!!
私だったら走ると決まっただけで大騒ぎするだろうけど
e-g-gさんは後からジワジワ感動するタイプなんでしょうね〜(^^
私はまだ産まれてもいない年の出来事ですが
ちょっと緊張した空気感、時代背景が感じられました。。
それにしても。。凄いなぁ〜

by masa (2008-07-09 22:02) 

e-g-g

◎HEIJIさん
そうですか、ご覧になりましたか。
ユニフォーム、シューズ、記念のメダル、
それと任命書というんでしょうか、
そんなあれこれが残ってます。
でも、納戸の奥の未踏の地にあるようで、
探し出す気力が無く、、、
でも、いちど点検?しないと
ボロボロになってるかもしれませんね。
日の目を見たら、それをまたブログにでも載せましょうか。

◎masaさん
伊勢佐木町ブルース、青江三奈ですね〜
懐かしいですね〜
父上様が、歩かれた頃と今では、
伊勢佐木町の雰囲気も、どうなんでしょう
だいぶ変わったのでしょうか?
とにかく、この街は
ワル高校生にとっては聖地でした。

この時代は、その後にも先にもない
独特の匂いがあります。
オリンピックから大阪万博にかけて、
とにかく日本中がお祭り騒ぎ。
たぶん、町だけでなく日本のすべての様相が
変わってしまったのでしょうね。

by e-g-g (2008-07-12 01:12) 

e-g-g

◎一真さん

◎甘党大王さん

◎sanjinsaiさん

niceを、ありがとうございます。

by e-g-g (2008-07-12 01:13) 

masa

そうそう。。父は。。
昔、もっとここは栄えていたんだよ〜って言っていました!
オヤジもきっと隣町の暴れん坊だったのでしょう(笑)
もしかしたらe-g-gさんの勇姿を見たかもしれませんね。

ちょっとお祭り騒ぎの日本を感じたかったな〜
そして太郎ファンとしては万博も行きたかった〜!
東京オリンピックが実現しても違う雰囲気なんだろうな〜?
by masa (2008-07-12 02:03) 

e-g-g

◎masaさん
いえいえ、ワタシは決して暴れん坊だったわけではアリマセン。
でも、聖地については表通りも裏通りも
けっこう詳しかったり、、、

ちょうど、今の北京がお祭り騒ぎの真っ最中なんでしょうね。
東京五輪の頃は、その反動がしばらく経って来ますが、
いまは、いろんな意味でリアクションが早そうです。

2016年が東京に決まっても、
お祭りにはならないでしょうね〜
すごくクールなオリンピックかもしれません。

by e-g-g (2008-07-14 16:22) 

e-g-g

◎masugiさん
nice、ありがとうございます。
by e-g-g (2008-07-16 11:48) 

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