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やっぱりカラヤンとは縁が無かった。 [聴く・クラシック音楽]

 若いころからちゃんと聴いて来なかったカラヤン。チャイコフスキーと、あと何があったか、ともかくLPとCDを合わせても片手の指に収まるほどしか持っていない。
 そんな折、4月のNHK BS-hiで生誕100年を記念した特集番組がいくつかあった。これは良い機会、いちどはしっかり聴いてみよう、と思ったのだけど。

 今回の目玉はドイツから取り寄せた35ミリフィルムをハイヴィジョン化した映像。ベートーヴェンのシンフォニーやチャイコフスキー、それとブラームスも。1970年代のいわゆるカラヤンとベルリンフィルの全盛期のものだそうだ。
 カラヤンが映像にも並々ならぬ精力をつぎ込んだことは良く知られている。とにかく自分の顔をどちらの方向から撮らせるのか、こと細かに指示した人である。そんなことには頓着せず、ただただ音楽それだけで勝負!という指揮者がいるとしても、カラヤンの流儀も否定はされない。

 ベートーヴェンの第九の合唱を除いては、カラヤンはどの曲でもずっと目をつぶり続ける。カメラはその横顔のクローズアップを追い続ける。もちろん目を閉じたカラヤンの前には、ベートーヴェンやブラームスの世界が広がっていたかもしれない、それはそれでひとつのカタチだろう。しかし、この映像を見て感じる独りよがりで自己満足的な陶酔に浸る(ように見える)スタイルはなんだろう?

 音楽の進行に合わせて登場する各パートの映像も、判で押したように演奏者の手元だけを写す。まるで、団員の音楽家としての人間性や個性は関係ない、ワタシの求める音をきちっと出してくれればそれでよいのだ、というふうに。
 たしかにオーケストラ音楽というのは、そういうものかもしれない。私の好きなセルにしても、そのトレーニングの厳しさはよく言われている。しかし、その厳しさを求める主体は音楽のはずである。その関係をカラヤンの映像から読み取るのは難しい。
 “オザワの手兵ボストン交響楽団”などと良く使われる言い回しがある。いやな言葉だが、このカラヤンの映像を見ていると、手兵という言葉も使うべき場合があるのだ、と思う。それにしても、この映像に『カラヤンの芸術』と付けるNHKのセンスもすごい、ひょっとしたらジョークか。

 いま聴くと、ちょっと過剰に思えるレガート、でもたしかに美しい。それは、上質なシルクのような手触り、美しく磨き上げられた白磁のような艶、ジューシーなフィレミニヨンから滴る旨みたっぷりの肉汁、フルボディのカヴェルネ・ソーヴィニヨンから立ち上る香り、、、まぁ、こんなことをいくら書いてもしょうがないけど、たしかにそういった響きがぎゅっと詰まっている。
 でも、私の耳に音楽は届いてこない。その過剰に手の込んだ構築物を前にして、心は何も動かない。

 結局、ブラームスの4番だけを残して録画は全部消した。そのブラームスも映像は無しで聴いている。そして、洗い晒した木綿のような趣のケーゲルとドレスデン・フィルのベートーヴェンを聴く。

 もちろん、流麗華美な響きを求める音楽もある。表現には思いっきりの豪奢が不可欠な場合もある。しかし、己のスタイルを出すための出汁に使われる音楽は不幸である。この先、映像のカラヤンを聴くことは、無いだろう。



 同じ時期にシューマンの交響曲の練習風景の記録も見た。カラヤンの音楽の作り方が良く分かる、とても内容の濃いものだった。なぜ、その素直な姿を「映像」にも反映しなかったのか?商品性を考えすぎたとしか思えない。でも、それを良しとして世に出したのだから、それがカラヤンの価値観だったのだ。
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コメント 13

kita

e-g-gさん おはようございます。
私もカラヤンのLP&CDは両手で数えられるくらいしか所有しておりません。
また、映像に関しては全く関心がなく、NHKの放送もまったく見ませんでした。

ただ、音だけでは、特に1950年代のフィルハーモニア管を振ったものとか、
1960年代のベルリン・フィルやウィーン・フィルとの録音は、すべてではありませんが、聴くべき内容もあるように思います。また、実演では1972年の来日時
ブルックナーの7番を聴きましたが、まずまずでした。その後は急速に関心が
薄れ、実演もCDも対象外でした。オペラだけは例外ですが。

結局、欧州の音楽界を掌握した帝王としての己の姿を映像として永遠に残そ
うと考え、つまらないものを残す結果になったのでは。
by kita (2008-05-04 09:15) 

のすけの母

カラヤンだから!と意識して買ったCDは、私もありません。
むしろ、偏屈ゆえ、カラヤンだから買わなかった方が多いです。
ただ、無意識のうちに(とにかくその曲がほしかったといったような)買ったものにカラヤンがあり、いくつか持ってます。
ただ、やはり好きではないのでしょう。
あえて聴きませんし、
先日読んだ新書の影響も薄く、心を寄せることもありません。
ただ、カラヤンなりの偉業だけは認めざるをえない、といったところでしょうか。

そうそう先月のNHKの「知るを楽しむ」のカラヤンは、全部見ました。

by のすけの母 (2008-05-04 19:56) 

kita

すみません。
カラヤンの実演を聴いたのは、1973年の秋でした。
このときの一連のコンサートのプログラミングは、柴田南雄さんが書いておられる
ようにバッハから現代までの音楽史を俯瞰するような見事なもので、私はブラ
ンデンブルグの1番とブルックナーを聴いたのです。こういう点はカラヤンの独
壇場のような気がしますが、頭の良さと出てくる音楽との相関はあまりなかっ
たのかな、というのが率直な感想です。
by kita (2008-05-05 21:36) 

e-g-g

◎kitaさん
二度もコメントをいただき、ありがとうございます。
ヨーロッパの音楽が、それまでの自然拡大ではなく
急激に世界中に広まっていく、
そのシンボル的存在がカラヤンだったのでしょうね。
それを音楽産業とメディアが協力に後押ししたのでしょう。
今回の「作りすぎ」の映像が過去の伝統にとらわれず、
よりユニヴァーサルな表現を目指したのも分かります。
正確な年は忘れましたが、パトリス・シュローの新演出なども、
ある意味でその流れとも思えます。
ただ、シュローの演出に込められた表現の必然は、
その後の大きな流れになったと思いますが、
カラヤンの映像にはその力が無かったということでしょうね。
きっと、通俗性が勝ちすぎていたのだと思います。

1973年といえば、私はまだクラシックに出会う直前、
猛烈な仕事の忙しさのため音楽に触れるチャンスは
ほとんどありませんでした。

◎のすけの母さん
「カラヤンをどう聴くか?ひいては音楽をどう聴くか?」
これを考えるだけでもカラヤンの功績はありますね。
最近は、旧東側にいたため知られていなかった指揮者に
関心があります。
たとえば、つい一昨日くらいの朝日にも載っていましたが、
札幌交響楽団の首席客演指揮者になったラドミル・エリシュカ。
メインストリームの脇にも、もちろん見るべき、聴くべき表現はあったはずで、そういったものに注意を払っていきたいものと思っています。

by e-g-g (2008-05-07 11:20) 

e-g-g

◎デザイン屋さん
◎カフェオランジュさん
◎xml_xslさん
◎HEIJI☆さん
◎響さん

nice、ありがとうございます。

by e-g-g (2008-05-07 11:24) 

いろは

こんばんは^^
カラヤンのレコードは確か持っていたと思います。
今はCDの時代ですが・・・(^_^;)
指揮者によって音楽が変るのは解りますが、おまり詳しくはありませんので・・・(-_-;)
お話は変りますが、先日、辻井伸行さんの「川のささやき」という曲を聴きました。(盲目のピアニスト)
とても素敵でした〜♪
勿論ご存知だとは思いますが・・・。
by いろは (2008-05-07 20:19) 

井上酒店

カラヤン・・・名前だけは知っていますが、どんな人かは全然分かりません。でも、何故かクラシックって取っつきにくいんですよね。何故でしょうか?でも、たまに聞いたり、見たりするとメチャクチャ引き込まれる。でも、何か頭から難しく考えて居るんでしょうかね?でも、一番は良く分からないと言うのが本年。昔、金聖響さんが、ベートーベンの曲とかを、解説して、この曲はこういう成り立ちで・・・とか、ココが聞き所・・・と行った解説があって、聞いたときは、何かワクワクして聞けたんですよね。どうしても長いし、ロックやポップスの様な、分かり易さがないんですよね。ただクラシックって、内容が分かれば、そこに、ちゃんと物語が存在したり、誰かをオマージュしたりと面白い部分が沢山隠されているんですよね。その辺がもう少し分かれば、クラシックも、普通に聴けるのかな?って思ってます。まだまだ子供なので、はまるとこまで行けません(笑)
by 井上酒店 (2008-05-07 23:17) 

tak

このような見方もあるのか、という思いで、
記事を拝読させていただきました。
日本では、カラヤンの人気は非常に高い
ですから、やや、意外な感じがします。

が、演奏者をインストルメントと割り切る
完ぺき主義というのは、
「指揮というのは、そういうものなのかな。」
と思っておりました。のだめカンタービレの
千秋先輩も、そんな感じですし。
(^^;

by tak (2008-05-07 23:48) 

masa

カラヤンが映像にハマったのはNHKの放送が好評だったからみたいですね。あとソニーの新機材攻め。。
WOWOWでやっていたドキュメントを見ました。

カラヤンもやりたい事をやっていたが
楽団員もそのお陰でお給料は良かった。と言ってました。
何百年も同じ音楽を演奏しているクラシックなだけに
指揮者の個性を後世に残したい気持ちは凄く良く解る。
見た感じは作り物の人形のようなカラヤン
でも、中身はとても人間臭い人だったんだ。と感じましたね。
by masa (2008-05-08 02:39) 

e-g-g

◎いろはさん
楽譜はひとつの目安のようなところもありますから、
おのずと演奏者の解釈が現れますね。
これはソロ楽器でも、100人のオーケストラでも同じことと思います。
この解釈の違いが面白いなぁ、とおもったりするわけです。
辻井伸行さんというピアニストは、存じ上げません。
いろはさんのお薦めとあれば、いちど聴いてみたいですね。

◎井上酒店さん
私も若い頃はクラシックにまったく感心ありませんでした。
20代半ばのある日突然と聴き始めましたが、
それまではヴァイオリンの高い音も苦手でした。
それがまぁ、どういう因果か、、、

まぁ、こればっかりは個人差もありますから、
義務感でも向上心でもなく
ごく自然に響きのなかに入っていける、
そんな時が訪れることも、
人によってはある、ということでしょうね。


◎takさん
カラヤン人気は高いですが、
アンチカラヤンもけっこう多いですよ。

>演奏者をインストルメントと割り切る
たしかにそういう傾向の演奏もありますね。
ただオーケストラも、室内楽やジャズ、
要するに他の音楽と同じようにアンサンブルですから、
「インストルメントと割り切る」のは
ちと無理があるかと思いますね。
カラヤンも、リハーサルでは
楽団員の自発性にはずいぶんと気を使っているようですし。
でないと、音楽にならないでしょうからね。
各パートを統率する強い指揮者というイメージが
カラヤンにはことのほか強かったということではないでしょうか?

◎masaさん
カラヤンがソニーの関係者と談笑中に亡くなったというのも象徴的ですね。
ドキュメンタリーやかつてのヴィオラ奏者の土屋邦雄氏の話などを聴くと、
ベルリンフィルはかなり自由闊達な場だったようです。
そんなイメージとは、ちょっとかけ離れた『カラヤンの芸術』、
ベルリンフィルの楽団員もそうとうに確信犯だったなぁ、と思いますね~
by e-g-g (2008-05-08 16:02) 

e-g-g

◎甘党大王さん
◎きぃ*さん
◎フェイリンさん
◎奥津軽さん
◎一真さん

niceを、ありがとうございます。
by e-g-g (2008-05-08 16:02) 

e-g-g

◎gillmanさん
◎Krauseさん

niceをありがとうございます。
by e-g-g (2008-05-13 12:41) 

e-g-g

◎sanjinsaiさん
niceを、ありがとうございます。
by e-g-g (2008-06-27 23:30) 

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