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ジョージ・セルのこと・1 [George Szell]

 はじめて出会ったジョージ・セルのレコードはドヴォルザークの「新世界」。(正確には、交響曲第9番ホ短調 Op.95“新世界より”)
 購入した日付を見ると1975年2月、32年前のこと。



 いくらクラシック初心者とはいえ、この曲の第二楽章の「家路」くらいは知っている。小学校の終礼に使われていたあの郷愁を誘うメロディは、子供達で溢れかえっていた木造校舎や、乾いた校庭の砂ぼこりを思い出させてくれる。大人になって、その「家路」をもういちど聴きたいと思った。校舎に据え付けられたラウドスピーカーからの響きとはまったく違うだろう。でも、レコードで聴きたい、と。
 ただ、この曲の全部を通して聴いたことはなかったし、また、どんな指揮者・オーケストラの演奏が良いのか?皆目見当も付かなかった。

 そんなときに志鳥栄八郎著『私のレコードライブラリー』*という本に出会う。志鳥栄八郎さんという音楽評論家が、古今の名曲が生まれた背景や、その曲にまつわるエピソードなどを紹介し、最後にお薦めのレコード評を載せたものだ。その本の「新世界より」の項の二番目の推薦盤として、セルの「新世界より」が紹介されていた。何も知らないときに、眼にし、耳にする手引きは重要である。下手をすると、その後の付き合い方を決めてしまうかもしれないから。ともかく『私のレコードライブラリー』は当時の私にとって欠かせないクラシック音楽ガイドだった。
* この本の出版元はなぜか共同通信。当時 FMfanというFM放送の番組情報誌を出していた関係から、いくつかの音楽書を出版していた。

 「新世界より」のお薦めレコードの一番手はカラヤン指揮ベルリンフィルの盤だった。カラヤンは三十数年前も、もちろん絶大な人気を誇っていた。なにやら哲学的、理知的な風貌。同時に自家用ジェットを自分で操縦するというモダンなイメージもあわせ持つ。とにかくクラシック界のスーパー・アイドルだった。
 へそ曲がりな私は、そんなアイドル指揮者の「新世界より」も二番目の推薦レコードに目が行った。それが「ジョージ・セル指揮/クリーブランド管弦楽団」である。
 聞いたことのない名前。自分の好みに合うかどうかも分からない。ただ、カラヤン盤と並んで紹介されるからには、それなりのレベルだろう、とそれだけの理由でその盤を買った。
 “この曲の交響曲としての構成を重視した、楽譜に忠実な表現だが、ドヴォルザークと同じ東欧の出身だけに、民族的情緒を豊かに表出している。”という評もそのときは参考になった。(ただし、この「楽譜に忠実な表現」や「東欧の民族的情緒」が、決してそうとばかりは言えないことは、後になって思い至る。音楽はそうそう簡単な決まり文句で型にはめることはできない、と。)

 ともかく、このレコードとの出会いが私の人生を変えた。(などと書くとなんとも大袈裟!)が、その後のわたしのモノの考え方や、仕事(グラフィックデザイン)の面に、何も影響がなかったとは、とても言えない。その、きっかけを作ってくれたのは確かにこのレコードである。
 このレコードにはスメタナのモルダウがカップリングされている。これも、当時はもちろん初めて聴く音楽。曲の冒頭の清々しい細やかな描写にうっとりと聴き入り、クラシックって美しいな、と素直に思った。

 ただ、この一枚でクラシック音楽のすごさも、セルの大きさも、もちろん分かったわけではない。その深みを知るためには、まだしばらくの時間がかかる。


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のすけの母

EGUCHIさんのオススメのセルですね!!
私、セルのCDは1枚もないと思っていたのですが、この前CDを並べかえていたら、ありました。
チャイコフスキーの交響曲第4番です。
(今度ゆっくり聴こうと思っています)

「新世界」はいいですね、大好きです。ドヴォルザークは、日本人の心情にとても合うのではないでしょうか。
民族的な泥臭さと哀愁漂うロマンティックさを兼ね備えているのがいいのでしょうね。
by のすけの母 (2007-01-30 23:59) 

e-g-g

◎のすけの母さん おそくまで どうもです
セルのチャイコフスキー4番はロンドン交響楽団との録音でしょうか?
あれは良い盤ですよ、わたしはLPしか持ってませんので、聴くのはたまに、ですけど。
ドヴォルザーク、交響曲の7番、8番、それとチェロ協奏曲も人気がありますね。いま、i Pod に8番を入れてます。ホッとできる音楽ですね。
by e-g-g (2007-01-31 00:24) 

ポッチ

EGUCHI さん、こんばんは。
32年ものですか。これまた貴重なLPですねー。LPはジャケットが大きくて、それだけで楽しめますよね。飾ったり、眺めたり・・・。
さて、最初に出会ったのがカラヤン盤だったら、どんな運命をたどっていたのか・・・それはそれで気になりますが(笑)、セル盤を選んだ直感に拍手です。
セル&クリーヴランドの「新世界より」聴いたことはないですが、きっと合うんじゃないかなぁと勝手に想像しています♪
by ポッチ (2007-01-31 03:35) 

響

EGUCHIさんのきっかけがこのレコードとの出会いでしたか。
しかし32年前とは今では貴重なのでは?
by (2007-01-31 08:42) 

e-g-g

◎ポッチさん おはようございます
もしカラヤン盤に最初に出会っていたら、と、やっぱり思いますよ〜
何かに出会うときというのは、意識、無意識を問わず、その「とき・場面」を作る何かがあるんでしょうね。たぶん、その多くは逃してしまうのでしょうけれど。
そういうチャンスが来ないかな?と思って雑誌を読んだりショップを覗くわけですが、、、
その後、カラヤンのLPもCDももちろん増えました(でも“新世界より”はないなぁ)。
by e-g-g (2007-01-31 10:21) 

e-g-g

◎響さん
クラシック音楽の狭い話しにお付き合いいただいて恐縮です。
とくに意識することもなく、気が付いたら32年が経っていました。けっこう長い時間ですね〜
このLPと同じ音源のCDが何種類かありまして、普段はもっぱらそっちの方を聴いてます。でも、たまにレコードをかけると、なにか別物のように聞こえます。
by e-g-g (2007-01-31 10:26) 

narkejp

こんにちは。「電網郊外散歩道」のnarkejpです。ジョージ・セルの音楽について、お好きな方がおられて、嬉しく心強く思います。1970年の来日演奏会の放送とともに、私もこの「新世界」のLPが、セルの録音を集め始めたきっかけです。
志鳥栄八郎さん、なつかしいですね。FM-fanを長いこと購読しておりましたので、「私のレコード・ライブラリ」の記事もよく覚えております。スモン病で長く苦しんでおられたはずですが、そんな気配は微塵も見せず、ワンパターンと言われようがなんといわれようが、ひょうひょうと自分の好きな音楽を紹介しておりました。視力が失われて、音楽の価値がよりいっそう感じられるようになったのかもしれませんね。
by narkejp (2007-01-31 19:16) 

最近、アナログのレコードが脳の活性化に繋がるという研究がなされていますね。デジタルで聞くと脳全体が特に活性化せず、アナログで聞くと一部分が活性化し集中していることがわかるそうです。
また、クラシックとポピュラーミュージックでは左脳と右脳の活性がわかれるそうです。
よく言う、胸に響く曲とはこの作用を結うのではないでしょうか・・・
私のバカな友人はカラヤンのことを、アリスのべーやん(堀内孝雄)と同じ感覚で捕らえていたらしいです。
by (2007-01-31 19:41) 

e-g-g

◎narkejpさん コメント、ありがとうございます。
いえいえ、こちらこそ、マイナーの極みのような指揮者を私と同じように聴かれている方がいらっしゃるとは嬉しい限りです。1970年の放送も聴かれたのですね!要するにセルが生きているときに、セルを聴かれていたのですね!羨ましい!
わたしは、セルに没頭してこりゃ凄い!と思ったときには、すでに故人。これまでの人生のなかでも最大に近いミステイクです。

FM-fan の番組表を隅から隅まで見て、カセットデッキをタイマーセット。あの頃は、あまり余裕のある聴き方はできませんでしたが、今とは比べものにならない真剣さがありました、懐かしいです。
志鳥栄八郎さんの音楽紹介で育った人は、多いのではないでしょうか。とくに入門者には、ソナタ型式がどうの、このカデンツァは云々といわれてもチンプンカンプン。志鳥さんの本を読みながらボヘミアの、ドイツの、北欧の風景を思い浮かべ、そこにレコードを重ね合わせていました。

「電網郊外散歩道」は拝見しております。藤沢周平は文句なしに好きな作家のひとり、宮城谷昌光氏は「音楽千夜一夜」でしか知りませんが、いずれ読むことになるだろうな、と思っている作家。いつも、う〜ん、何かコメントをと思っているうちに、中味の濃い新しい記事がアップされて、、、その繰り返しでございます。
by e-g-g (2007-01-31 22:27) 

e-g-g

◎月光さん まいど ありがとうございます。
そうですか〜 アナログとデジタルのそんな研究があるんですか、知りませんでした。究極のアナログ、ようするに「生」が脳の活性化にはイチバンでしょうね。
響く曲、、、心地よいだけでもなく、耳障りが良いだけでもなく、心にズシンと届く音楽でしょうか。甘いケーキも苦い野菜も必要なように、生きていくための糧なのでしょう。音楽の力は凄いですね。
by e-g-g (2007-01-31 22:39) 

ヒロノミン

こんばんは。私もセルの新世界は大好きです。一糸乱れぬ弦、ここぞという部分で最高の音を鳴らす木管・金管。ドヴォルザークは7番も8番も耳にタコが出来るほど聴きまくりました。
私が生まれ時には、セルは既にこの世を去っていました。生演奏を聴いた方が本当にうらやましいです。
by ヒロノミン (2007-01-31 23:08) 

e-g-g

◎ヒロノミンVさん こんばんは
清潔なのに冷たくない、直線に見えるのに程良いカーヴをを描いている、なんだか妙な形容ですが、セルの演奏はそう聞こえます。新世界も、聴けば聴くほど新たな滋味が湧いてきますね。

「時代」が、あの指揮、演奏を生んだのでしょうね。もちろん、その「時代」は、もう戻ってきません。たぶん、これからも来ないでしょう。でも、たんなるノスタルジーだけではなく、セルの演奏が今に生きる必然はまだあると思います。
セルが亡くなった1970年、私は22才でした。生前のセルには、タッチの差で会えませんでした。残念です
by e-g-g (2007-01-31 23:54) 

mozart1889

EGUCHIさん、おはようございます。
志鳥栄八郎の「私のレコードライブラリー」は懐かしいですね。僕も持っていました。他にも入門書が沢山あって、志鳥節には随分お世話になりました。
FM-fanも好きでしたし、共同通信社というのは音楽関係の出版社だと当時は思っていたくらいです。
僕はカラヤン/BPO盤から入ったクチです。「新世界」はその後、セルもケルテスも・・・・さて、何枚あるか数えたことはないんですが、とにかく、どんどん増えていきました。でも、若い頃に聴きまくった「新世界」は今も懐かしくこみ上げてくるものがあります。このセル盤も、カラヤン盤も、かけがえのない演奏です。
by mozart1889 (2007-02-01 03:29) 

e-g-g

◎mozart1889さん コメントをありがとうございます。
“クラシック音楽のひとりごと”の方もお邪魔はしているのですが、私からすれば桁違いの量と質。いつも、読まさせていただいているだけです・・・
「私のレコードライブラリー」は久しぶりに手に取ってみると、おっとりとした作りの本ですね。手元にあるのは上と中のみ、下巻はもう飽きて買わなかったのか、それとも何処かへ紛れてしまったのか不明です。

カラヤン盤は昔にFM放送で聴いたきり、同じ推薦にあったトスカニーニ盤と合わせて、ちゃんと聴かねばまずいなぁと、思ってます。とにかく因縁のレコードですので。
by e-g-g (2007-02-01 10:42) 

クラシカルな某

 はじめてお邪魔します。
 ジョージ・セル関係を中心に「随時休息。常時セル。」なる稚拙なブログを書いている者でございますが、セルの情報をチェック中、立ち寄らせていただきました。(なお、多忙のため、当方ブログは更新がむずかしくなってきておりますが。)

 志鳥氏の文章はもともとFMfan本誌の姉妹誌「別冊FMfan」(季刊)に載ったものかと思います。カラヤン、セル、ノイマンの3盤が紹介されていたと記憶します。わたくしもセルを選びました。セルの名はそれ以前も聞いていましたが、ウィスキー飲みが「ハイランド・モルト」の「ハイランド」という呼び名に“清浄な空気”を思い浮かべるように、少年時代のわたくしは「クリーヴランド」に冷涼で澄み切った大気を空想し(実際のところ、大きな湖もひかえていますが、工業も盛んで交通渋滞も深刻な普通の大都市のようです)、ともかくセル盤への勝手な期待を膨らませました。
 お手持ちのLPでは西村氏が解説を書かれていて確かアンサンブル、パート間バランス、アゴーギクの見事さなどを指摘なさっていたかと思いますが、わたくしはむしろ、しなやかさ、洗練、そして粘着質でない必要十分な度合いの情感に心打たれたものです。これは「モルダウ」にも当てはまります。この出会いは、その後の音楽趣味・嗜好を大きく左右しました。

 永遠の「ドヴォルザークの第9」と呼ぶにふさわしい演奏と思います。

 お写真のジャケットは、裏面にセルの写真が載っているものと思います。あれと同一のショットとトリミングの写真は今は見つけるのがむずかしいのです。眼鏡フレーム、瞳の色、ワイシャツのストライプ、手の甲の静脈などよく眺めたものです。
by クラシカルな某 (2007-02-05 19:50) 

e-g-g

◎クラシカルな某さん はじめまして、そしてコメントをありがとうございます。
「随時休息。常時セル。」は、以前にいちど拝見していました、これからもお邪魔させていただきます。
クリーブランドという地名、良い響きですよね。ワタシも、これは是が非でもいかねばなるまい!と思ったときもありました。
“粘着質でない必要十分な度合いの情感”は、まさにそのとおりと思います。一見冷たそうなのに実は、豊かな内実を秘めていいる、そういった音楽が聞こえます。適切なテンポ感等々も含め、無理を感じない演奏と思います。

ジャケットの裏面は、私も良く眺めましたが手の甲の静脈までは、、、
解説の裏の「ベストクラシック100」は、さて次は何を聴こう、と端から端まで良く見ていましたけれど。。。
by e-g-g (2007-02-05 22:40) 

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