オートバイ文化はあるか? [オートバイ]
あふれる情報の中でオートバイ文化を語る意見や著作は意外に少ない。これは詰まるところオートバイは文化足りうるかという視点がほとんど無いということの現れと思う。(ブログでさらに情報をあふれさせている自分のことは棚に上げての話し)*長文2,800字
オートバイに乗りはじめて間もない頃に『オートバイライフ』(斎藤純 著・文春文庫)を読んだ。新書だから、すぐに読める。内容も素人同然のワタシにもだいたいは分かるもの、うなずける点も多かった。
この本を手始めに、さて他にどんなオピニオンがあるのだろう?といろいろ探したが、これが無い。
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その後『ば・い・く』(柳家小三治著・講談社文庫)を読んだが、これはめっぽう面白いし、そこに語られている数々の失敗談やエピソードは参考にもなった。同じ小三治の『ま・く・ら』、『もひとつ ま・く・ら』、これも心を和ませてくれるいい話がたっぷり詰め込まれている。
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斎藤純の著作は単行本もあり、そのほとんども読んだ。ただ、単行本で語られていることは『オートバイライフ』に、ほぼそのエッセンスがあり、新しい発見はさほどない。(本としてツマラナイというのでは毛頭ない)
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オートバイ関係の雑誌はほとんど読まない。唯一の例外は「培倶人」。昨年の春に取材記事が載ってしまい、その後いちおう買い続けている。が、これも最近はほとんど読んでいない。
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新しい分野に関心を持ったとき、いまはネット上で相当のことが分かる。インターネット出現以前には考えられないほどの量と質を持った情報に出会える。ただしかし一見便利そうなネットの情報も、その玉石混淆の中から「玉の情報」を探すことは実に難しい。学術論文も日々の日記も、並列的に並べられるモニターを見て、瞬時に“そのときに役立つ情報”を見つけるのは難儀である。
これは、なにもネット上の情報にだけ言える特殊な現象ではない。新聞に折り込まれるチラシ、街角の看板、もっと言えばすべての広告。日々眼にするあまたのニュース、娯楽情報、、、、その海の中から自分の求める情報を探し出す。そういう訓練は知らず知らずのうちに培われている。ネット上で情報を探すということは、そういったこれまでの情報探索力を頼りにしているのである。
さて、こういった旧来型?のメディアには、情報選択に一定のルールというかしきたりがあって、それが読者に無用のサーフィンをさせない仕組みにもなっている。もちろん、固定的あるいは頑固なヒエラルキーを抱え込んだりもするが、それでも、人間の作り上げてきた知恵の財産を上手く使うことのメリットも大きい。
山登りに喩えれば、旧来型紙メディアの世界では、登山口に立ったときに案内表示がキチンと示され、登山道そのものも良く見えるようになっている。これがネット上となると、話は突然ややこしくなる。まず、登山口に立って案内板を見てもどれが正確で、自分のニーズにもあったものかも不明。だいいち、その案内板自体の数も多い。だから迷う。迷っているうちに疲れてしまい、山登りそのものを諦めることにもなる。
話が横道に逸れた。
多くの分野では、その情報は「雑誌→新書→書籍」と、だいたいはこの順番でテーマの掘り下げ方が深くなる。逆にニュース性は低くなる。雑誌の連載が書籍になるのは良くあることで、これはその情報の普遍性が認められたということである(「売れる」という経済原則も大きいが)。究極的には、この過程を経てその分野でのバイブルになることもある。これは、人々が積み重ねてきた情報選択の眼、その濾過作用の結果である。
この便利な情報深化のセオリーに照らし合わせてみると、オートバイ分野はほとんど雑誌のレベルで止まっている。そこから先が無い。いやほんとうはあるのかもしれないが、いまのところワタシには見つからない。
これはオートバイに限ったことではなく、他の趣味やスポーツの分野でも、おおよそ同じ傾向である。その分野の歴史の長短によって深さは変わるが、社会と距離を置いた狭い範囲での情報が切り売りされる傾向が強い。
さて、なにやら硬い話になってきたが、大人が読める、読み応えのある「オートバイ文化」を語るメディア(雑誌でも、新書でも、書籍でも)は無いものだろうか?仮にあったとしてもマイナーすぎて直ぐに潰れてしまうのだろうか?
大のオトナがなぜオートバイに乗るか?なぜオートバイは人の心を惹きつけるのか?といった、とてもひとことでは言い表せない諸々について、述べ語るメディアがもっとあっても良いと思うのだが。
オートバイは趣味の世界のもの、気持ちよく走れれば、別段「文化」など持ち出さなくても良さそうなものでもある。ただワタシは欲が深い。どうせオートバイに乗るならば、より深くその世界を味わってみたいとも思う。これは、よりメカニズムに通じ、マニアックな話題を豊富に持つということとは少し違う。
たとえば、オートバイで走る土地のこと、人のこと、はたまたその歴史、言い換えれば風土と文化。その領域にはオートバイでなければ接することの出来ないテーマが、もっとあるのではないか?埋もれているのではないか?
たとえば走り方について。如何に上手くコーナーを攻めるか*といったことよりも、如何にその土地と調和して走るか。絵になる美しい走り方などといったことは実際に有り得るのだろうか?
* 安全な走りのためのコーナーの攻め方といったテーマは、もちろん必要。
たとえば、その土地の美味しいものに巡り合ったときは、素直にその旨さを伝えるのも良い。ただ、たまにはその美味しさと、その土地の関係といったところまで首を突っ込んでみるのも面白いのではないか?等々、視点は数多くあると思う。
オートバイにはまったく縁の無かった(と思う)司馬遼太郎の『街道を行く』が、いつまでもガイドブックになっているのは少し寂しい。
こんなことを考えていると、オートバイ文化といった視点は実はネットの上にすでにあるのかもしれないとも思う。いちいち「文化」などと断るまでもなく、良く読めば明らかに人とオートバイの関わり方について、新しい見方や考え方を示しているサイトもある。良く探せばそういう方向性を持ったサイトは、もっとあると思う。
そして、新しい動きは、そういったところから生まれてくる可能性が大きい。世のオートバイジャーナリズムに関わる人達は、これからは、いやすでに、このあたりの観察力・発見力が求められていると思う。
ニュース性に富み、かつ読んで美味しいオトナのオートバイ文化誌。どこかで出してもらえたらワタシは真っ先に買うと思う。
*以上の話し、これまでのオートバイ雑誌を否定するものではまったくない。こだわる点は徹底的にこだわる、これがそもそも雑誌の成立するところである。そのこだわりが読者の共感を呼び、ひとつの場を作り上げている。その場の深化はメディアと読者の協同作業で作られているのだから。
結論から先にいうと、オートバイ文化は存在すると
思うのですが、それを語るメディアというものが
ビジネス的に成功して存続するのは、きわめて
難しいのかもしれません。
オートバイのハードウェアは、2本持ちサスから
モノリンクサスになって以来、じつは大きな進歩
というものはありません。メーカーが意識的に
止めているのだ、ともとれますけど。
だから、オートバイそのものの情報を掲載した
雑誌は、当然のことながら不調です。
「月刊オートバイ」とか、「モーターサイクリスト」とか。
だって、新しいメカなんか、なーんにも出てこない
のですから。彼らも、いったいなにを書いたらいいのか、
わかんないんじゃないかなあ。
今月号は、「2007年スポーツ車特集」ですか。
...カタログもらいに行った方が早いですよね。
では、ソフトウェアは?
これはきわめて未熟です。暴走族、ローリング族、
あるいはテクニックもなんもなしで、ただかっとんで
いくだけの人々。そこから卒業すると、みんなクルマ
に行ってしまって、もう戻ってきません。
ある程度、長いことオートバイに乗っていて、ツーリング
とか、トレッキングとか、そういったソフトウェア重視で
オートバイを使っている人って、ごくわずかだと思うのです。
また、そういう人は、あまりオートバイ雑誌なんか買ったり
しませんよね。それこそ、司馬遼太郎の「街道を行く」とか、
(私も愛読しております)、あるいは「BE PAL」などを読んで
いるのではないでしょうか。あるいは、月刊「釣り」とか。
私は渓流釣りのポイントを知るために、読んでいますが。
(^^;
そういう現実がある以上、メディアの方もどういったター
ゲットを対象に、雑誌や本を出していいのか、わからない
のだと思うのですよ。私が以前読んでいた「アウトライダー」
という雑誌なんか、そのあたりが中途半端だったから、
休刊に追い込まれましたし。最近、復刊したみたいだけど
相変わらず中途半端です。反省を知らないスタッフたちですね。
いまだったら、「培倶人」がそれにあたるのかなあ。
あれ、はたして存続するんでしょうかねー。
ただひとつ。旧車や高級車を購入して、改造して
楽しむ人たち。俗にいう、エンスージアストですか。
そういう人たちだけは、いつの時代でも確実に存在
するし、もともとがお金持ちだから、情報入手にも
お金を惜しまない。そういった人たちをターゲットと
した雑誌は、相変わらず多いですよねー。
(長文すみませn)
by kokudoh (2006-12-06 22:15)
最初のコメントはたぶん takさんから、と思ってました。あんな長文を読んでくださり、まことにありがとうございます。
ビジネス的な成功はきっと難しいでしょう。地味になりそうですからね。でも、その地味さ加減もなにかの弾みで評価されるかな、なんていう感じもあったり。
それと、このテーマ、突き詰めていくとオートバイでなければイケナイの?ということにもなります。要は自分の目と耳と、いや五感で感じることの喜びみたいなことになりますからね。あそこに行くならバイクより歩いた方がよっぽどマシだよ〜!なんてこともあるでしょうし。
でもですね〜、なんか突破口のようなもの、あると思うんですよ。ミーハー的な入り方だけど奥が深い!っていう編集。
堂々?3ページも取材記事が載ってしまった培倶人編集部には申し訳ないですが、やはりちょっと中途半端。オトナといえば温泉ツーリング、このパターンから抜けきれない。でも、ちょっとでも突っ込んだ編集をしたら、アッという間に部数減になるんでしょう。
最近みてませんが Be Pal は、けっこう視点の定まった企画ありましたよね。マウンテンバイクも、XCスキーも一番最初の案内人は Be Palでした。もう二十何年も昔の話ですけど。
ひとつの分野に特化すればするほど、一部のマニアだけに受けるものになる。きっと専門誌の宿命でしょうね。それでもそのマニアの絶対数がある程度の数であれば、そこそこの商売にはなる。音楽の「レコード芸術」、山歩きの「山と渓谷」。閉鎖性に辟易しながらも利便性のメリットもあったり。あっ、どちらもずいぶん昔に読むのやめましたけどね。
世の中、LEONみたいな雑誌が受ける、いやぁ、何ともはや、です。。。
by e-g-g (2006-12-06 22:47)
現在、私も雑誌は読みません
10年前ぐらいまでは、情報収集のためには雑誌ぐらいしかありませんでしたから、片っ端から読みあさりました。
今はネットが雑誌代わりです。ただ、雑誌や本のように持ち歩くには、まだまだな部分も多いですし、手元に残すことがあまりなく、よって、意識の中にも残りにくいですが・・・
また、メディアは変わっても、自分に必要な情報を得るのは労力のいることですね。
さて文化についてですが、それなりに歴史も重ね、それなりにユーザーも存在するわけですから、ないというわけではないのでしょうね。
しかし、バイクを文化的に活用されている方の人口は、そうでない活用をしている者より少ないというか、圧倒されているような気がします。したがって、文化的な情報が欲しい人たちに向けた情報発信はビジネスとして成立しない・・・
あ、なんだかtakさんと同じこと言ってますね
やめます(笑)
まあ、自分の必要な情報を苦労しながら探す
そんな、マニアックな楽しみ方もありではないでしょうか
by mio (2006-12-06 22:54)
mioさん 毎晩ありがとうございます。
雑誌とネット上の情報の差は、編集力の有無と思います。気に入った雑誌というのは意識するとしないに関わらず編集の眼を信じて読んでいたんですよね。
ネット上では、その編集力は「自分」になります。編集の上手下手は、結局のところ自分自身の編集力のなせるものでしょう。
で、それはそれで良い点も多いのですが、時にはプロの水先案内人(編集者)のガイドに沿って歩いてみる、この良さもあると思います。ただ気が付けば、編集人がそのガイドの仕事を放棄してしまった、というのが現状ではないでしょうか?ちょっと乱暴ですけど
バイクを文化的に活用している人は、その存在をほとんど見せないでしょうね。オレがオレがという自己顕示的な表現を嫌う人達でもあると思いますし。ま、そのあたりから本音を引き出せたら、それは編集としては面白くなりそうです。売れるか売れないかは、その先の問題ですが、きっと売れないでしょう。
by e-g-g (2006-12-06 23:19)
こんばんは。
雑誌、最近ほとんど購入してません。特集で旅行やメカなど気に入ったものがあるとその号だけを購入するくらいです。
私は、ポケット図鑑とかローカルフードの本等でしょうか、食べ物の本を読むことが多いですね(笑)
あとは現地で体感するという当たって砕けろ的なやり方です。。オートバイも壊しながら覚えましたし。。。(汗)
by Montego-Blue (2006-12-06 23:21)
Montego-Blueさん こんばんは
図鑑、つい集めたくなりますよね、私も好きです。でも、なぜか木の名前も花の種類もまったく覚えません。山道で珍しい花を見つけて“ズカン、ズカン”と叫ぶのですが、なぜかデイパックの中になかったり。
ローカルフードの本、どんなものがあるのでしょう?興味あります。
体感はいちばん大切なことと思います。綿密な下調べなどしていくと、結局のところ調べておいたものを現地で確認するなんていうことに知らず知らずのうちになったりしますから。
by e-g-g (2006-12-06 23:31)
eggさん こんにちは!
昨日は遊びに来て頂きましてありがとうございました。
オートバイの事は 私は全く分らないのですが 娘(高3)が 何故かオートバイに興味があるようで 街を歩いていて見なれないオートバイを見かけたりすると
とても興奮して 「あ!○○だ!」なんて言ってます。
そのうちに 娘と二人で じっくり eggさんの“街で見かけたオートバイ”シリーズを
見せて頂きたいと思います。
by 東雲 (2006-12-07 15:01)
◎東雲さん わざわざのコメント、ありがとうございます。また、堅苦しく長々しい記事をお読み痛きまして恐縮です。
オートバイは50代も半ばを過ぎてからの突然変異、ほんのビギナーです。ほんとうは「徒歩か自転車」が性にあっているのですが、とにかく脚力が、、、
ほんの少しオートバイを知っている、でもマニアといえるほどの眼力にはほど遠い。そんな中途半端な視線で、街の中を見回しています。また、お時間がありましたらお寄りください。
by e-g-g (2006-12-07 16:27)
自転車を語るに近いような気がします。ある程度、完成してしまっているからではないでしょうか?後は肉付けでおいしいもの情報やおすすめ情報なんかの付加価値が主たる情報だったりするからのような気がします。ヤッパリ旅情報は旅情報専門誌買ってしまいますので・・・(;-_-;)
by (2006-12-07 18:11)
月光14thさん コメントありがとうございます。
自転車の世界も似ていますね。そういえば一時 Cycle Sports、読んでましたね〜。
肉付けはみなさん個人編集でやってますよね、およそ一冊のガイドですべてが済むというものでもありませんから。
問題は、肉付けの中身にもあると思うんですよ。ひとつにはオートバイ関係のメディアって、たぶん圧倒的に若い編集者が多いと思うんです。だから当然、ネタも若っぽくなる。これはこれで良いと思います。ただ、そろそろ、といいますか、やっとと言いますか、中高年の感心を刺激する企画とか情報提供がもっとあっても良いかな?と思うんですね。
もちろん、そういった自分の好みに合う情報は、個人が好きなように探せばよいわけです。でも、その関心事を並べていくと(編集すると)、今まで見えなかった、あるいは隠れていたオートバイの楽しみ方も少しは見えてくるんじゃないか?そんな風にも思います。中高年あるいは大人向けというと、温泉+高級旅館+真っ当な料理、とこれだけでは、ちょっとステレオタイプですよね。
例えば、ドイツやイタリアのオートバイ乗りは(いやアメリカでもいいんですけど)、いったいどんな楽しみ方をしているんだろう?とか、かなり地味ですけど、遊びのバイクと仕事のバイクの相対比較(面白いかなぁ?)、などなど切り口はたくさんあると思います。
編集という観点からみると、私の言うような方向はゼネラル志向です、いわゆる総合誌の方向ですね。これは一般論としてはかなり難しいです。仮に出来たとしても、きっと売れないでしょうね。(あくまでもオートバイにこだわれば、商売的には専門誌ですけれど)
いちばん手っとり早いのは『文字の大きい!中高年版ツーリングマップル』のような企画と思います。地図は、けっこうゼネラルな視点・情報を載せやすいですから。
* 今さらながら昨日の自分の記事を読み返して、もう少し要領よく手短にんらんものか!と、思います。反省をしながらではありますが、読んでくださいましてありがとうございました。
by e-g-g (2006-12-07 21:09)
akipon さん nice ! をありがとうです
by e-g-g (2006-12-08 15:25)
オートバイの雑誌は読まないです。
もともとあまり読まなかったんですが、最近は立ち読みさえしないですねえ。オートバイに乗るのは好きなんですけどね。
自分は最近、オートバイ+山登り(トレッキング)とか、オートバイ+植物の観察とか写真撮影など、オートバイ+×××が多いですね。それもオートバイが軸になってるので、電車とバスを乗り継いでトレッキングというのはやったことがありません。(それも楽しそうではあるんですけど)
オートバイなしでは成り立たないけれど、オートバイは主役でないんです。
自分ではうまく表現できないんですが、そんな切り口の雑誌があったら読みたくなるかもしれません。
by kom (2006-12-09 14:02)
◎komaさん
>オートバイなしでは成り立たないけれど、オートバイは主役でないんです。
まったく同感です。いろんな楽しみ方があると思いますけど、私もオートバイオンリーになると、ちょっと違うなぁと思っています。あくまでも道具なんですよね。
でも、オートバイとトレッキングを組み合わせるときは、ウェアでけっこう悩みます。オートバイで走りやすく、山道で歩きやすい、この両方を同時に満足させるウェアなんて無いのでしょうけど。
>電車とバスを乗り継いで、、、頼れるのは自分の脚ですね。これがいちばんかもしれませんよ。なにしろ、お昼に心おきなくビールを飲めますから。
こういう話をグダグダと連ねていくと、雑誌も出来上がると思いますが、売れないでしょうね〜、普通につくったら。
by e-g-g (2006-12-09 15:19)
今頃ですが、拝見させて頂きました。
私もそういうものを探していて、ブログに辿りついたようなものです。
それは間違いなく存在すると思うのですが、案外メディアというある意味一方通行なところでより、喫茶店のテーブルや待ち合わせたパーキングなどで語られていることが多いような気がします。
ブログというのは既存のメディアより、そういう場に近いのかもしれません。
その中で、お探しのような情報が語られているテーブルを見つけるのも大変なんですけど、それはそれで私にとっては楽しい過程でした。
友人と呼べる人たちとも出会えましたしね。
彼らと話していて思ったのは、やっぱり雑誌のように作り手から提示されて納得できるものではないなぁということでした。
そしてeggさんのテーブルも、私にとってはその一つになりそうです。
これからもよろしくお願いします。
by YASH (2006-12-24 15:25)
◎YASH さん ご丁寧なコメントをありがとうございます。
私も、既存のメディアは限界が近付いていると感じます。その原因は、YASHさんの言われるとおり、一方通行のコミュニケーションスタイルの結果にあることも同感です。
そのあたりの事情を頭に置きつつ「オートバイ文化はあるか?」と題したのは、上手く書ければ論点が明確になるかなと考えたからです。文章力のつたなさから、あまり効果は上げていませんが、自分なりの整理をしてみようと。
ブログは、その文化の場が生まれる可能性を秘めていると思います。といいますか、これまで行き所の無かった様々な想いや願望が、ブログの世界に、一斉に向かったということでしょうね。つい最近まで、ブログなんて気恥ずかしくてデキルか!と感じていた私が、臆面もなく始めたのは、そんな可能性に自分も関わってみようという実験精神からです。
とうぜん、このある種混沌としたコミュニケーションの場から、自分に合ったと思えるテーブルを探すのは、なかなか骨の折れることです。ただ理想論かもしれませんが、それはきっとどこかにあるでしょうし、あって欲しいとも思います。
まだ、始めてから一ヶ月半ほどですが、その可能性の萌芽を少しづつ垣間見られるようになってきた、というのが今の実感です。
オートバイは好きだけれど、でも、人間はオートバイだけで生きているわけでもなく、実に多くのことを綴れ織りのように紡いでいるんですよね。そういったことは奥に引っ込めたオートバイ賛歌も、もちろん否定はしませんが、私はそんな人生の綴れ織りの中でのオートバイライフに興味もありますし、自分自身でも、そうやってオートバイと付き合っていきたいと思います。
なにやら、抽象的になりました。YASHさんの『仕事』には、そういう良い匂いを感じました。「ときにはこんな昼休み」「忘れないよ」など、秀逸と思います。こういう記事を書く人は、いったいオートバイとどう付き合っているんだろう?と。。。
そういう諸々を注意深く見ていると、きっとオートバイ文化はあるのだ!と思うのです。今後とも、よろしくお願いします。
by e-g-g (2006-12-25 00:44)